「安部徹」の版間の差分

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[[福岡県]][[宗像郡]][[東郷町_(福岡県)|東郷町]][[字田熊]](現・[[宗像市]]東郷)出身。小学校長の4人兄弟の長男として生まれ、3人の弟はいずれも戦死する。府立四中(現[[都立戸山高校]])から東京商大予科に進んだが、酔っ払って西武線を止め、退学処分となる。その後東京水産講習所(現[[東京海洋大学]])に入学したが中退。府立四中では作曲家[[浜口庫之助]]と同級生。
 
[[第二次世界大戦]]では、二等兵時代に毎日[[X線写真|レントゲン]]に影が出るよう砂を胸に付けたり、体温計を擦って微熱を作り、病人と化して戦地へ行くことを逃れた。また[[大杉栄]]に傾倒していた。母方の祖父が[[日刊工業新聞]]の創始者であることから、2代目増田社長から、新聞社の社長を要請されたが、俳優として活躍中だったため、あっさり断った。妻は[[女優]]・[[声優]]の[[北原文枝]](故人)だが入籍はしなかった。[[小田急グループ|小田急]]の重役の娘であった前妻との間に長男がいるが芸能界と関係なく詳細不明。
 
[[1939年]]、[[新興キネマ]]に入社し、新人として同年の『結婚問答』で映画デビュー。当時は“原不二雄”の芸名だったが、[[1944年]]に[[松竹]]に移籍して安部徹と本名に改名。後のコワモテぶりからは想像できないが、若手時代は二枚目の俳優だった。主演作も数本あったが、長く俳優を続けるため、[[悪役]]に転身。
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