「大山倍達」の版間の差分

→‎人物: aimai X線写真|レントゲン撮影
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[[宮本武蔵]]<ref>大山は歴史小説『宮本武蔵』の作者である[[吉川英治]]に知己を得ており、極真会館の道場訓は吉川の監修を得たものである。</ref>を深く尊敬していた大山は、作家[[吉行淳之介]]と対談した際<ref>『吉行淳之介 対談 浮世草子』1971年、三笠書房・集英社。</ref>、吉行から「[[五味康祐]]によると武蔵は[[同性愛|ホモ]]だったそうですね」と言われたため、怒りのあまり吉行を殴りそうになったが、自制して手を出さず、怒りを顔に表すことすらしなかった。このため吉行は大山の怒りに気付くことなく平然と対談を終えたが、後日、知人を介して大山から危うく暴行を加えられる寸前だったと知り、恐怖におののいたと語っている。
 
青年時代より、日本[[ボディビル]]界の祖と言われた[[若木竹丸]]の著書「怪力法」に影響を受け、戦後実際に若木より[[ウエイトトレーニング]]の指導を受けた。発達した胸筋と背筋のため[[X線写真|レントゲン]]撮影]]では薄く影が出来るほどであったといわれる。またパンチ力の増強のために懸垂が有効と聞けば、最後は片手で懸垂を連続20回こなすほど腕力があった。
 
その反面、若い頃の大山の空手は、荒々しく実戦を重視しすぎていたため、巻き藁突きやサンドバッグ、組手稽古やボディ・ビルの鍛錬ばかりして、型の稽古を嫌い、たびたび先輩方から苦言を受けるほどであった(空手修行時の大山を知る空手関係者は異口同音に「彼は力は強いし、組手や実戦は強いが型は下手」と語っていた)。壮年期から晩年にかけて好んで剛柔流の「転掌」や「鉄騎」を演じるフィルムが現存し重厚で見事な型稽古を見ることができる。大会においての最後の型演武も「転掌」であった。
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