「オルズベック・ナザロフ」の版間の差分

その後、本人の強い希望により、リングネームを本名「'''オルズベック・ナザロフ'''」に改める。
 
[[1995年]][[5月]]の3度目の防衛戦からは3戦連続で日本国内で試合を行うが、海外出身の「輸入ボクサー」であるが故、同時期の国内の現役世界王者と比べて知名度は格段に低かった。そのため、試合でも観衆をあまり多く集められず、ファイトマネーも安い状態であった(テレビ中継も深夜に関東ローカルでの録画中継枠を確保するのが精一杯)。こうした背景から、[[1996年]][[4月]]の5度目の防衛成功後は試合すら出来ない状況に陥る。協栄ジムと交渉の末、同年[[12月]]、同ジムを離れ[[フランス]]に拠点を移すことを正式に決定。
 
[[1997年]][[5月]]、フランス移籍初戦。1年1ヵ月ぶりの試合であったが、長期間のブランクを感じさせない7回TKO勝ち。6度目の王座防衛に成功。その後、ノンタイトル戦を2度行い、いずれも勝利。
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