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'''小田 朝久'''('''おだ ともひさ'''、[[1417年]]([[応永]]24年)-[[1455年]][[6月5日]]([[康正]]元年[[4月20日 (旧暦)|閏4月20日]]))は、[[室町時代]]中期の[[武将]]。[[小田氏]]の第12代当主。第11代当主・[[小田持家]]の子。官位は中務大夫。[[讃岐]]守。
 
[[1455年]]、[[足利成氏]]に従って[[古河]]を守備した。同年春、成氏の命を受けて[[上杉房顕]]・[[長尾景仲]]らを討伐するために[[常陸]][[小栗城]]を攻撃中に陣中で病に倒れ、閏4月20日に病死してしまった。[[享年]]39。家督は[[小田成治]]が継いだ。