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'''トニー・ミッチェル'''('''Tony Mitchell'''、[[1970年]][[10月14日]] -) は、[[アメリカ合衆国]]出身の[[プロ野球]]選手。日本では[[2001年]]に[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に所属した。ポジションは[[外野手]](日本では[[指名打者]])。190cm105kg(ダイエー在籍時)。右投げ両打ち(ただしダイエー時代は右打ちに専念した)。
 
[[1995年]]に同じダイエーに在籍した[[ケビン・ミッチェル]]は従兄弟にあたる。
 
== 経歴 ==
[[1989年]]に[[ピッツバーグ・パイレーツ]]に入団したがメジャー経験はなく、[[1997年]]からは[[独立リーグ]]でプレー。[[2000年]]にドゥルースで[[打率]].352、26[[本塁打]]、87[[打点]]の成績を挙げたことを評価され、ダイエー入団。年俸は1500万円で、格安外国人として話題となった。なお、代理人はかつてダイエーにも在籍した[[ブーマー・ウェルズ]]であった。かつてダイエーで数々の騒動を起こしたケビン・ミッチェルの従兄弟であることを、球団はトニーの口から語られるまで知らなかったという
 
実際の打撃は前年までダイエーに所属した[[メルビン・ニエベス]]以上に引っ張り専門で、当たれば本塁打に出来るパワーはあるのだが当たればの話。結局打率が2割にも満たず、シーズン後半は2軍生活を送り、シーズン終了後に解雇された。
 
*ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーはケビンと異なり球団と揉めるようなことはなかった。ただしが、気性は荒く、かった。2001年[[4月26日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦([[東京ドーム]])で[[高橋憲幸]]の[[死球]]に激怒、[[金子誠]]の頬に右フックを見舞わせる等の大立ち回りを演じ、退場処分を受けた。この時、ヘルメットの下にかぶっていた水泳帽が話題になった。また、[[テレビ東京]]系列で放送された「[[火の玉スポーツ列伝]]」では『ミッチェルの日記』なるコーナーを担当。ややトボけたキャラクターで人気となった。
 
== 日本での通算成績 ==
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== 背番号 ==
*'''42'''(2001年)
 
== エピソード ==
*トニーの代理人はかつてダイエーにも在籍した[[ブーマー・ウェルズ]]であった。
*トニーとケビンが従兄弟同士ということを、球団側は本人の口から語られるまで知らなかったという。
*ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーは球団と揉めるようなことはなかった。ただし気性は荒く、[[4月26日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦([[東京ドーム]])で[[高橋憲幸]]の[[死球]]に激怒、[[金子誠]]の頬に右フックを見舞わせる等の大立ち回りを演じ、退場処分を受けた。この時、ヘルメットの下にかぶっていた水泳帽が話題になった。
*格安外国人選手として話題となり、[[テレビ東京]]系列で放送された「[[火の玉スポーツ列伝]]」では『ミッチェルの日記』なるコーナーを担当。ややトボけたキャラクターで人気となった。
 
== 関連項目 ==
*[[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
*[[王貞治]]
*[[ケビン・ミッチェル]]