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平安時代後期の歌人[[藤原基俊]]は、[[歌合]]の判詞において「言凡流をへだてて幽玄に入れり。まことに上科とすべし」「詞は古質の体に擬すと雖も、義は幽玄の境に通うに似たり」と残している。
基俊に師事した[[藤原俊成]]は、
また[[藤原俊成]]の子で『[[新古今和歌集]]』・『[[百人一首]]』の撰者である[[藤原定家]]は、歌論『[[毎月抄]]』の中で和歌を分類した十体の一つとして、幽玄様を挙げている。
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