「マルティーノ1世 (シチリア王)」の版間の差分

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1390年にシチリア女王[[マリア (シチリア女王)|マリア]]と結婚した。1392年にマリアとともに軍勢を引き連れてシチリアへ戻り、反抗する諸侯を破った。マルティーノはマリアが1402年に死去するまで、共同でシチリアを治めた。その後、1372年に結ばれていた条約を無視して、マルティーノは単独の君主として支配を続けた。
 
マリアの死後、マルティーノはのちに[[ナバラ王国|ナバラ]]女王となる[[エヴルー家]]王女[[ブランカ1世 (ナバラ女王)|ブランカ]]と結婚した。2度の結婚のいずれでも、成人した子は得られず、庶子ルナ伯ファドリケがいたのみだった。
 
マルティーノが1409年に[[サルデーニャ]]の[[カリャリ]]で死去すると、父であるアラゴン王マルティン1世がマルティーノ2世としてシチリアも治めた。しかし翌1410年にはマルティン1世自身も死去し、マルティーノに先立たれて嗣子がいなかったため、王位継承者が定まるまでに2年を要した。
 
{{先代次代|[[ナポリとシチリアの君主一覧|シチリア王]]|1390 - 1409<br><small>1402年まで[[マリア (シチリア女王)|マリア]]と共治</small>|[[マリア (シチリア女王)|マリア]]|[[マルティン1世 (アラゴン王)|マルティーノ2世]]}}
 
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