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李治が即位して高宗になるとすぐに李勣は呼び戻されて中書門下三品(宰相)とされ、一躍朝廷の重鎮のひとりとなる。
 
その後、高宗は武照([[武則天]])を新しく[[皇后]]に立てたいと思い、臣下に下問した。このときの李勣以外の主な人物が[[長孫無忌]]・[[チョ遂良|褚遂良]]・[[于志寧]]であった。長孫無忌と褚遂良は反対し、于志寧は沈黙を守り、李勣はこの会議に欠席していた。高宗はあきらめ切れずに、自ら李勣に対して下問し、李勣は「これは陛下の家事です。なぜ臣下に聞くのですか。」と答え、これに力を得た高宗は武照を皇后に立てた。この後、武照による専横の時代が始まり、李勣はこの時代を保身のために招いてしまったと後世から批判を受けることになる。李勣からすれば、長年粉骨砕身して使えてきた太宗から太宗からあのような疑いを受けたことが微妙な恨みとして残ったようであり、「そちらがそのように疑うのならこちらは保身に走るしかない」と思っていたのではないか。
 
その後、長孫無忌・褚遂良は武則天によって殺され、于志寧は左遷となった。李勣にはもちろんお咎めがなく、むしろ更に信頼されるようになる。[[666年]]の[[高句麗]]遠征には唐軍の主将として活躍し、長年の敵であった高句麗を滅ぼすことに成功する。