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'''サーアーチー'''(Sir Archy)は[[19世紀]]初頭の[[アメリカ合衆国]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]である。アメリカの[[サラブレッド]]の基礎を作った1頭。
 
両親は共に[[イギリス]]の生まれで、特に[[ダイオメド]]は初回の[[ダービー (競馬)|ダービステクス]]の勝ち馬である。ダイオメドは種牡馬として失敗し、タダ同然(50[[ギニー]])でアメリカに叩き売られた。サーアーチーはその両親の間に[[バージニア州]]で生まれた。その後何人かの手に渡り、競走馬としてはブランク(Blank)に対する[[ヒートレース|ヒート]]に勝つなどの実績を重ねた。引退後は種牡馬となり、共に米首位種牡馬となったサーチャールズ(Sir Charles)、バートランド(Bertrand)のほか、[[レキシントン (競走馬)|レキシントン]](Lexington)の祖父であるティモレオン(Timoleon)などを出した。また、[[クォーターホース]]の成立にコッパーボトム(Copperbottom)やサーソロモン(Sir Solomon)らが深く関わったという説がある。
 
[[1833年]][[6月7日]]、28歳で死亡。