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'''ロンセスバーリェス''' ([[スペイン語]]:'''Roncesvalles'''、[[バスク語]]:'''Orreaga'''、[[フランス語]]:Roncevaux)は、[[スペイン]]、[[ナバラ州]]の自治体。[[ピレネー山脈]]の標高900m地点を流れるウロビ川岸に位置する。[[フランス]]国境までわずか5マイルほどである。
 
778年、[[ロンヴォジェスの戦い]]([[:en:Battle of Roncevaux Pass|en]])において、山岳[[バスク人]]と戦った[[カール大帝]]が敗北を喫し、騎士[[ローラン (シャルルマーニュ伝説)|ローラン]]が戦死した地として、ロンセスバーリェスは知られている。
 
ロンセスバーリェスにある小さなコレタ・デ・サンタ・マリア教会([[:es:Colegiata de Santa María (Roncesvalles)|es]])には、ローランにちなんだ興味深い遺物が含まれている。戦いはロンヴォジェス峠へつながるバルカルロスの谷で起きたとされている。この道は、ロンセスバーリェスから北の[[サン=ジャン=ピエ=ド=ポール]](現在はフランス領)へとつながる主要道として行き来されてきた。
 
中世以後、コレタ教会は[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]をゆくカトリック巡礼者の好む宿場となり、フランス側からピレネーを越えてきて初めに宿泊する地となった。毎年数千人の巡礼者が、ロンセスバーリェスから[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]へ向かう。
 
== 外部リンク ==