「一言坂の戦い」の版間の差分
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{{See|二俣城の戦い}}
家康を破った信玄は、10月16日に二俣城を包囲した。二俣城は遠江国の諸城の中でも特に重要な拠点であった。武田軍が補給路を確保するためにも、徳川軍の連絡網を断ち切るためにも、この城は落としておく必要があ
正照は家康、そしてその同盟者である織田信長の後詰(援軍)を期待して、信玄の降伏勧告を拒否する。このため10月18日から武田軍の攻撃が開始されるも二俣城の攻め口は、北東の大手口しかなく、その大手口は急な坂道になっており、攻め上ろうとする武田軍は次々と矢弾の餌食となり攻めあぐんだ。
そこで、信玄は力攻めでは無理と判断し、水の手を絶つ方法を考えた。
{{See|三方ヶ原の戦い}}
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