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[[ImageFile:Bethlehemsteel.jpg|thumb|325px|right|[[ペンシルバニア州]][[ベスレヘム]]のベスレヘム・スチール基幹生産設備]]
'''ベスレヘム・スチール'''('''Bethlehem Steel Corporation''', [[1857年]] - [[2003年]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[製鋼]]会社。[[ペンシルバニア州]][[ベスレヘム (ペンシルバニア州)|ベスレヘム]]に所在した。かつては[[USスチール]]に次ぐ規模を持っていたが、2001年に破綻、分割され、2003年に[[インターナショナル・スチール・グループ]](''International Steel Group, ISG'')に売却された。2005年にISGは[[ミッタル・スチール]]と合併した。
 
ベスレヘム・スチールの終焉はアメリカ経済が、低賃金外国人労働者の流入により工業生産が立ちゆかなくなった最も顕著な例としてしばしば取り上げられる。
 
== 歴史 ==
1857年4月8日、ペンシルバニア州サウス・ベスレヘムで'''サウコナ製鉄所''' (''Saucona Iron Works'') として創業する。1861年5月1日に社名を'''ベスレヘム製鉄所''' (''Bethlehem Iron Works'') と改名した。1860年7月15日に[[アルフレッド・ハント]]が重役会で社長に選任される。会社は創業初期に[[アメリカ海軍]]向けの鉄道[[レール]]や装甲板を生産した。1899年に社名を'''ベスレヘム・スチール会社''' (''Bethlehem Steel Company'') と改名した。
 
1900年代の初めにベスレヘム・スチールは[[キューバ]]での鉱山業および国内での造船業に進出した。1913年には[[マサチューセッツ州]][[クインシー (マサチューセッツ州)|クインシー]]の[[フォアリバー造船所]]を買収し、世界でも主要な造船業者の一つとなった。
 
1916年に[[ユージン・グレース]]が社長に就任する。1945年には会長となり1957年まで同社を率いた。グレースは1920年代に多くの製鉄所を設立し、ベスレヘム・スチールは全国各地の著名な建造物に使用される鋼材を生産した。同社の鋼材は[[ニューヨーク]]の[[ロックフェラー・センター]]、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]、[[サンフランシスコ]]の[[ゴールデン・ゲート・ブリッジ]]など多数に使用された。
 
== 軍への供給 ==
[[第一次世界大戦]]および[[第二次世界大戦]]中にベスレヘム・スチールは[[アメリカ軍]]向けに装甲板および砲製品を供給した。軍の艦艇の大半はベスレヘム・スチール製の装甲板および銃砲を装備した。
 
第二次世界大戦中に同社の15の造船所は180,000名を雇用し、合計1,121隻の艦艇を生産した(会社全体の従業員は300,000名であった)。戦後は防衛産業、発電所および鋼材製造業者に対して鍛造製品、建設業界に対して種々様々の構造材を供給した。
 
ベスレヘム・スチールの絶頂期は1950年代に到来した。同社は一年当たり約2,300万トンを製造し、1962年から641964年にかけて[[インディアナ州]][[ダウンズハーバー]]に最大の製鉄所を建設した。社長のアーサー・B・ホーマーは1958年のアメリカ合衆国において最も高給の事業経営者であった。
 
=== 造船所 ===
* [[フォアリバー造船所]] - [[マサチューセッツ州]]
* [[ベスレヘム造船所]](前スパローズ・ポイント造船所) - [[メリーランド州]][[スパローズ・ポイント]]
* アラメダ造船所 - [[カリフォルニア州]]
* サンフランシスコ造船所 - カリフォルニア州
{{seeSee also|ベスレヘム造船}}
 
=== 貨車 ===
ベスレヘム・スチールは[[ペンシルバニア州]][[ジョンズタウン (ペンシルバニア州)|ジョンズタウン]]のミッドヴェール・スチール・アンド・オーディナンス社を買収し、1923年から1991年まで世界でも有数の鉄道貨車生産者であった。主要な鉄鋼業者であったにもかかわらず、ベスレヘム・スチールの貨車部門は鉄道貨車の製造で[[アルミニウム]]の使用を開拓した。ジョンズタウン工場は1991年に自社株購入でジョンズタウン・アメリカ・インダストリーズ社として独立した。
 
ジョンズタウン・アメリカは[[イリノイ州]][[ダンヴィル]]の工場を買収、拡張し、社名をフライトカー・アメリカ・コーポレーションとして[[NASDAQ]]に上場した。フライトカー・アメリカは現在も上場する、唯一のアメリカ人が所有する旧ベスレヘム・スチール関連会社である。フライトカー・アメリカはバージニア州の生産施設を買収し、ジョンズタウンから撤退しようとしている。この動きは会社を現在まで育て上げた地域及び従業員への感謝よりも、コストの低減が企業にとって必要であり、それが動機であると考えられる。
 
== 国際競争との直面 ==
アメリカの製鉄業は第二次世界大戦中に繁栄したが、[[ドイツ]]と[[日本]]の製鉄業は[[連合軍]]の爆撃によって壊滅状態となった。戦後それらの再建は新型製鉄所での連続鋳造のような、より現代的な技術で行われた。アメリカの製鉄業が重要な国際競争なしに操業した20年間で、工場労働者の給与は上昇し、新技術への利益投資は怠られた。この事実は1980年代に製品の価格格差として影響を及ぼすこととなる。
 
より安価な外国製鋼材は1980年代に輸入され始めた。これはベスレヘム・スチールの市場占有率に否定的な影響を与える。1982年には15億USドルの赤字を計上し、その製鉄所の多くを閉鎖しなければならなくなった。収益率は1988年に一時的に好転したが、1980年代から901990年代にかけて閉鎖とリストラは続けられた。
 
1980年代中頃に構造材製品の市場は縮小し始めた。一方で市場には新たな競争が現れた。軽量で低層な建設スタイルは低層建造物の増加につながり、ベスレヘム・スチールが生産するような巨大で重量のある構造材の需要は減少した。その結果、1991年には採鉱業(ベスエナジー)から撤退、1995年には製鉄所での製鋼を中止することとなった。ベスレヘムでの140年に及ぶ鉄鋼生産は終了した。ベスレヘム・スチールは企業の中心活動である製鋼業を維持するため、1993年には鉄道貨車生産、1997年に造船から撤退している。
皮肉にも安価な輸入製品はアメリカ製鉄業全体の問題である。最近ニューコアの[[CEO]]は輸入製品によって引き起こされた問題に関して[[アメリカ合衆国上院|上院]]で証言を行った。
 
== 破綻 ==
ベスレヘムでの操業停止と[[リーハイ・ヴァリー]]地域への影響で、ベスレヘム・スチールはベスレヘム南側の再生支援を決定し、会社資産再利用のため外部コンサルタントと契約を結ぶ。再生計画は所有する163[[エーカー]](660,000m<sup>2</sup>)の土地を[[ベスレヘム・ワークス]](''Bethlehem Works'')と改名し、文化、レクリエーション、教育、娯楽のための施設に利用するという物であった。国立産業博物館は[[スミソニアン協会]]と協力して建設され、ベスレヘム・コマース・センターは1,600エーカー(6.5km<sup>2</sup>)の主要な工業跡地から成り、カジノ、娯楽施設の複合体および巨大な小売店舗と共に建設が計画されている。
 
 
== 外部リンク ==
* [http://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune_archive/2004/04/05/366339/index.htm "The Sinking of Bethlehem Steel"], ''Fortune'' magazine, April 5, 2004.
* [http://oboylephoto.com/steel/index.htm Photo documentary of the Bethlehem Steel plant]
* [http://www.mcall.com/news/specials/bethsteel/all-bethsteel-c0p1,0,4389048.story?coll=all-bethsteel-nav "Forging America: The History of Bethlehem Steel"], ''The (Allentown) Morning Call''.
* [http://www.marcreed.com/almostgone "Almost Gone"], Photographer Marc Reed's study of the ruins of Bethlehem Steel.
 
[[Category{{DEFAULTSORT:鉄鋼メーカー|へすれへむすちーる]]}}
[[Category:アルセロ鉄鋼メル・ミッタル|へすれへむすち]]
[[Category:アルセロール・ミッタル]]
 
[[de:Bethlehem Steel]]
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