「環濠集落」の版間の差分

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[[堀|水堀]]をめぐらせた場合に'''環濠'''と書き、[[堀|空堀]]をめぐらせた場合に'''環壕'''と書いて区別することがある。
 
== ルーツ ==
「環濠」と「環壕」のルーツはそれぞれ、[[長江]]流域と[[内蒙古]]([[興隆窪文化]])であると考えられており、[[日本列島]]では、[[弥生時代]]と[[中世]]にかけて各地で作られた。
 
長江中流域では、今から約8000年前の環濠集落が、[[湖南省]]の[[リーヤン平原]]にある[[彭頭山遺跡]]で発見されている。この環濠集落の直径が約200メートルで、西側が自然河川に繋がっており、北側と東側、南側には、幅約20メートルの濠が巡っているらしい。充分な発掘調査はまだであるが、水田[[稲作]]農耕の遺跡である。
 
[[内蒙古自治区]][[赤峰市]]にある興隆窪遺跡から、約8200~7400年前の環濠集落が見つかっている。この集落は、長軸183メートル、短軸166メートルの平面形が楕円形に巡る溝によって囲まれている。溝の幅は約1.5~2メートルあり、深さは約1メートルほどである。環濠の内側から約100棟の竪穴式住居が発見されている。この集落の生業は[[アワ]]などを栽培する[[畑作]]農業である。
 
中国で誕生した環濠集落は、農耕文化の重要な要素の一つとして、朝鮮半島を経由して日本列島に伝来した。
 
== 日本 ==