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'''ソビエト山脈''' (Montes Sovietici) は、[[月]]の裏に発見が報告されたが、実在しなかった[[山脈]]である。
 
[[1959年]]、[[ソ連]]の[[月探査機]][[ルナ3号]]が人類で始めて月の裏を撮影した。このときの[[写真]]はきわめて不鮮明なものだったが、いくつかの地形が発見された。その1つがソビエト山脈であり、[[モスクワの海]]の東方、東経111度北緯19度から東経124度南緯5度、[[モスクワの海]]の東方写っ延びているとされた。
 
ソ連の[[天文学者]]たちはいくつかの地形に命名し、[[1960年]]、『月の裏側の地図』 ''Atlas of the Far Side of the Moon'' (編者: [[ニコライ・バラバショフ|N・P・バラバショフ]]、[[アレクサンドル・ミハイロフ|A・A・ミハイロフ]]、Y・N・リプスキー、[[モスクワ]]、[[1960年]]) を出版し見した地形に命名した。ただしこれらの地名のいくつかは、月の表での命名の慣習を無視しており、ソビエト山脈も、山脈には[[アルプス山脈 (月)|アルプス山脈]]など[[地球]]の山脈の名前をつけるという慣習を無視していた。これらの地名は[[国際天文学連合|IAU]]に提出され、モスクワ (IAU) はソ連海などは命名を承認されたが、ソビエト山脈以後は明確どは政治色が強すぎるとして却下され、代わりの名はルールを定められるようにった。
 
しかしその後の鮮明な写真で、ソビエト山脈など存在しないことが明らかになった。そこには、新しく鮮明な[[クレーター]]である[[ネコ (クレーター)|ネコ]]、それから延びる[[光条]]、いくつかの小さなクレーターが連なって、状のイメージを作っていた。これが光の角度と不鮮明な写真により山脈に見えたと考えられている。
 
==外部リンク==
*[http://www.mapaplanet.org/explorer-bin/explorer.cgi?map=Moon&layers=moon_clementine_multi&R=5&G=3&B=1&info=NO&advoption=YES&lines=400&samples=400&sizeSelector=resolution&Resolution=5&projection=MERC&grid=none&stretch=auto&north=43&south=-29&west=81.5&east=153.5&defaultcenter=on 現代の探査機による周辺の写真。中央を北北西-南南東に延びるのが「モスクワ山脈」。縦線等はデータの欠損。]
*[http://the-moon.wikispaces.com/IAU+Transactions+XIB IAUの1961年の命名資料。当時の裏側の月面図と地名リストあり。]
 
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