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|image_city = Dalian-Jinzhou-XiangyingSquare.jpg
|image_caption = 向応広場。関向応像(左)、旧博物館(後)
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[[画像:Dalian-Jinzhou-XiangyingSquare.jpg|230px|right|thumb|金州の中心地、向応広場。左に関向応の像、後ろに旧博物館変わって薬屋)]]
[[画像:Dalian-Jinzhou-NewMuseum.jpg|230px|right|thumb|金州の新博物館(北郊外で、2009年に開館予定)]]
 
'''金州区'''(きんしゅう-、{{ピン音|Jīnzhōu}}:ジンヂョウ)は[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]]に位置する[[市轄区]]。区人民政府(日本の区役所にあたる)の所在地は斯大林路687号。区内には[[大連経済技術開発区]]がある。歴史上は、旅順、大連ができ成立す前は、金州がこの地区の中心地であった。
 
==地理==
金州内総面積、1074.6平方キロメートル。低山丘陵区に属し、区内は中部低山丘陵区,東部丘陵漫岡区沿海部を河流沖積小平原区の3つにと三かれていすることができる。東を黄海([[大連湾]]など)、西を渤海(金州湾および普蘭店湾)、北を[[普蘭店市]]、南を[[甘井子区]]に隣接する。
また、区内には[[大連経済技術開発区|開発区]]、保税区、DDDDポートなどがあり、[[甘井子区]]に隣接設置され輸出拠点とて開発されている。
金州市は東を黄海([[大連湾]]など)、西を渤海(金州湾および普蘭店湾)、北を[[普蘭店市]]に接する。
また、南側には[[大連経済技術開発区|開発区]]、保税区、DDポートなどがあり、[[甘井子区]]に隣接している。
 
山と川区内には大黒山、小黒山、黄海に流れ込む登沙川などがある。ダム(水庫)には、北大河水庫、鴿子塘水庫、什字街水庫などのダム建設されている。
 
金州区の冬季は黄海側は不凍怪異であるが、渤海側は1月から2月にかけて凍結し水運としての利用ができない。
 
金州区は冬に、黄海側の海水は凍らないが、渤海側の海水は1、2月に凍結する。
 
== 行政区画 ==
*[[街道弁事所]]:光明街道、先進街道、友誼街道、囲政街道、站前街道、中長街道。
*[[鎮]]:大李家鎮、大魏家鎮、得勝鎮、[http://ja.dengshahe.cn/newEbiz1/EbizPortalFG/portal/html/index.html 登沙河鎮]、二十里堡鎮、華家屯鎮、亮甲店鎮、三十里堡鎮、石河鎮、向冪鎮、杏樹屯鎮。
*民族郷:七頂山満族民族郷。
 
==歴史==
歴史上は、旅順に軍港、大連に商港ができ設置される以前は、金州に中央の役人より官僚が派遣されて、ここがこのるなど地区の行政、経済の中心地であった。以前は城壁に囲まれていてた構造であり、金州博物館でその模型を見ることができるが。城壁は解放後取り払わに手居されている。
 
[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]から[[秦|秦代]]にかけて[[遼東郡]]の管轄とされた。[[前漢|漢初]]に遼東郡の下に[[沓氏県]]が設置され、[[三国時代 (中国)|三国時代]]に[[魏|魏朝]]により[[東沓県]]と改称された。
歴史上は、旅順に軍港、大連に商港ができる以前は、金州に中央の役人が派遣されて、ここがこの地区の中心地であった。以前は城壁に囲まれていて、金州博物館でその模型を見ることができるが、解放後取り払われている。
* [[三国時代 (中国)|三国時代]]
** 遼東半島で反乱 (239 A.D.)
* [[唐]]、[[遼]]、[[金 (王朝)|金]]、[[元 (王朝)|元]]時代
** [[唐]]の[[太宗 (唐)|太宗]]とその軍勢が[[高句麗]]遠征にきて、卑沙城(現在の金州区の大黒山)を討ち取った(645) <ref>遼寧省、特にその南部の大連から丹東にかけては、唐の太宗とその将軍たちが残した伝説が多く、地名などに影響している。</ref>
** 升成県が金州と改名(1216)、中央から防御使が派遣された1218)
* [[明朝]]時代
* [[清朝]]時代
** [[日清戦争]]中に、日本軍は東の黄海側から上陸して、金州を占領(1894)。戦後の[[下関条約]]で日本の[[租借地]]となったが、日本はフランス・ドイツ・ロシア三国干渉に遭い、その計画を放棄した
** ロシアが金州を含む[[遼東半島]]を租借地として、大連に商港を建設(1898)
** [[日露戦争]]中に、日本軍はやはり黄海側から上陸して、金州を占拠し(1904)、ポーツマス条約後に遼東半島のロシアの租借地は、現在の金州全域および普蘭店市の最南部(普蘭店~皮口)までが日本の租借地「[[関東州]]」となる(1905)
* [[中華民国]]時代
** 租借期限を1997年までの99年間に延長(1915)
** ソビエト軍が金州へも侵攻し、[[中国共産党]]指導の政府が樹立(1945)
* [[中華人民共和国]]時代
** 金州は旅大市に所属(1950)
** 遼寧省遼南専署となるが(1966)、また旅大市に復帰し(1969)、旅大市は大連市と改名(1981)
 
[[西晋|晋代]]は遼東郡[[平郭県]](現在の熊岳鎮)とされらが、[[404年]]([[元興]]3年)に[[高句麗]]の版図に組み込まれた。[[唐|唐朝]]が成立すると高句麗への軍事行動を起こし、[[645年]]([[貞観 (唐)|貞観]]19年)には卑沙城(現在の金州区大黒山)を攻略し支配権を獲得、[[668年]]([[総章]]元年)、[[唐|唐朝]]はこの地に[[安東都護府]]を設置している。[[遼|遼代]]になると[[926年]]([[天顕]]元年]]に[[東京遼陽府]][[蘇州]]の下に[[蘇県]]が設置されその管轄とされた。
1890年代後半から大連開発区ができて、また大連市が行くに勤務する人々のベッドタウンともなり、往時の活気を取り戻している。
 
== 交通 ==
 
[[1143年]]([[皇統]]3年)、[[金 (王朝)|金朝]]は蘇州を[[化成県]]と改称し、[[復州]]の管轄としたが、[[1216年]]([[貞佑]]4年)、化成県は金州と改称され、金州の名称が初めて登場した。
* 哈大鉄道([[ハルビン市|ハルビン]]~[[瀋陽市|瀋陽]]~大連)の[[金州駅]]
* [[大窯線]](上記の貨物用支線)
*[[瀋大高速道路]](大連-瀋陽)金州IC、三十里堡IC、石河IC、[[丹大高速道路]](大連-[[丹東市|丹東]])の両高速道路が貫いている
* 南側を[[大連軽軌]](大連駅~開発区~金石灘)が通っていて、2009年にその支線(開発区駅~金州駅)が開通予定
 
[[1284年]]([[至元]]21年)、金州万戸府は[[遼陽行省]]の管轄とされた。[[明|明代]]になると[[1371年]]([[洪武]]4年)に遼都衛と改称されたが、[[1375年]](洪武8年)に金州衛と改称された。[[1734年]]([[雍正]]12年)、[[清|清朝]]は金州を[[寧海県]]と改編、[[奉天省]]の管轄とされ、清末の[[1843年]]([[道光]]23年)には寧海県は金州庁と改称されている。
==生活と文化==
 
[[1898年]]([[光緒]]24年)、[[ロシア帝国]]の[[租借地]]となり大連に商港を建築し、現在の港湾都市としての基礎が築かれている。[[1904年]](光緒30年)には[[日露戦争]]が勃発すると金州一帯はその戦場となった。同年日本軍は黄海側より上陸し金州を占拠、翌年、[[ポーツマス条約]]が締結されると遼東半島におけるロシア権益は日本側に移譲されることとなり、現在の金州区全域及び[[普蘭店市]]南部が日本に租借され[[関東州]]となり日本の勢力下に置かれることとなった。[[中華民国が成立すると[[1913年]]に金州は[[金県]]と改称されたが、日本租借地であるため行政権が行使されることはなかった[[1915年]]に関東州の租借権が99年間延長され、その後の[[満州国]]建国もあり、金州は日本の中国大陸における重要拠点としの地位を確立しいている。
===買い物===
 
[[1945年]]、ソビエト軍の満州国侵入が行われると金州も占領され、翌年1月には[[中国共産党]]の指導による政府が樹立された。[[1949年]]4月27日、金県は旅大行署区の管轄となり、翌年12月より[[1959年]]12月まで[[旅大市]]の管轄とされた。[[1966年]]6月12日、金県は遼南専区に一時移管されたが、[[1968年]]12月26日に再び旅大市に移管され、[[1981年]]2月に大連市に移管されている。
市内買い物は、向応広場の北側の斯大林路([[スターリン]]路)歩行者天国、南側のニューマート・スーパー(新瑪特超市)など。
 
[[1987年]]5月20日、大連の市轄区に移管されることとなり金州区が成立し現在に至る。1890年代後半より大連開発区が設置され、また大連市のベットタウンとしても近年開発が進められている。
===公園===
 
== 行政区画 ==
市内の公園は、向応公園など
*[[街道弁事所]]:光明街道、先進街道、友誼街道、囲政街道、站前街道、中長街道。
*[[鎮]]:大李家鎮、大魏家鎮、得勝鎮、[http://ja.dengshahe.cn/newEbiz1/EbizPortalFG/portal/html/index.html 登沙河鎮]、二十里堡鎮、華家屯鎮、亮甲店鎮、三十里堡鎮、石河鎮、向冪鎮、杏樹屯鎮。
*民族郷:七頂山満族民族郷。
 
===スポーツ= 交通 ==
* [[哈大鉄道線]]([[ハルビン市|ハルビン]] - [[瀋陽市|瀋陽]]~大連)の[[金州駅]]
 
* [[大窯線]](上記の貨物用支線)
金州体育場は大連市最大のサッカー場・陸上競技場で、プロスポーツ大会や国際スポーツ大会がしばしば開かれる。
*[[瀋大高速道路]](大連-瀋陽)金州IC、三十里堡IC、石河IC、[[丹大高速道路]](大連-[[丹東市|丹東]])の両高速道路が貫いている
* 南側を[[大連軽軌]](大連駅 - 開発区 - 金石灘)が通っていて運行され、2009年にその支線(開発区駅 - 金州駅)が開業される予定である。
 
==生活と文化==
金州体育場は大連市最大のサッカー場・陸上運動競技施設あり、プロスポーツ大会や国際スポーツ大会がしばしば催される
 
==教育==
 
高等教育
* [[大連大学]](開発区)
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* 大連韓国国際学校(開発区)
* 大連モデル学校(開発区)
 
 
== 観光 ==
 
* 向応広場(町の中心)
* 金州副都統衛(清朝時代の役所、[[正岡子規]]句碑もここにある所在地
* 金州博物館(北郊外に新しい博物館を建設中)
* 龍王廟(道教)、金州教堂(キリスト教)など
* 南山([[日露戦争]]の激戦区、[[乃木希典]]詩碑は旅順日露監獄の倉庫にある所在
* 大黒山、勝水寺観音閣、観水響、朝陽寺
 
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==参照==
 
{{reflist}}
 
== 外部リンク ==
[http://www.lnjinzhou.gov.cn/ 金州区公式ページ人民政府]
 
{{遼寧省の行政区画}}
 
{{DEFAULTSORT:きんしゆう}}
[[Category:遼寧省の行政区画]]
[[Category:大連|区きんしゆう]]
{{china-geo-stub|きんしゆう}}
 
[[de:Jinzhou (Dalian)]]