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[[1284年]]([[至元]]21年)、金州万戸府は[[遼陽行省]]の管轄とされた。[[明|明代]]になると[[1371年]]([[洪武]]4年)に遼都衛と改称されたが、[[1375年]](洪武8年)に金州衛と改称された。[[1734年]]([[雍正]]12年)、[[清|清朝]]は金州を[[寧海県]]と改編、[[奉天省]]の管轄とされ、清末の[[1843年]]([[道光]]23年)には寧海県は金州庁と改称されている。
 
[[1898年]]([[光緒]]24年)、[[ロシア帝国]]の[[租借地]]となり大連に商港を建築し、現在の港湾都市としての基礎が築かれている。[[1904年]](光緒30年)には[[日露戦争]]が勃発すると金州一帯はその戦場となった。同年日本軍は黄海側より上陸し金州を占拠、翌年、[[ポーツマス条約]]が締結されると遼東半島におけるロシア権益は日本側に移譲されることとなり、現在の金州区全域及び[[普蘭店市]]南部が日本に租借され[[関東州]]となり日本の勢力下に置かれることとなった。[[中華民国]]が成立すると[[1913年]]に金州は[[金県]]と改称されたが、日本租借地であるため行政権が行使されることはなかった[[1915年]]に関東州の租借権が99年間延長され、その後の[[満州国]]建国もあり、金州は日本の中国大陸における重要拠点としの地位を確立しいている。
 
[[1945年]]、ソビエト軍の満州国侵入が行われると金州も占領され、翌年1月には[[中国共産党]]の指導による政府が樹立された。[[1949年]]4月27日、金県は旅大行署区の管轄となり、翌年12月より[[1959年]]12月まで[[旅大市]]の管轄とされた。[[1966年]]6月12日、金県は遼南専区に一時移管されたが、[[1968年]]12月26日に再び旅大市に移管され、[[1981年]]2月に大連市に移管されている。