「高田がん」の版間の差分

 
*ちょうどこの頃は、NHKなどの[[政見放送]]がラジオからテレビに切り替わった時期で、政治家たちは、自らに向けられるカメラに緊張し、歯切れの悪い放送も目立ったが、高田がんはテンポ良く、トチる事もなく一発でテレビ政見放送収録に臨んだ。
*気性が激しく、街頭演説や立会演説で誰かが冷やかすと、「この野郎!文句があるならこっちへ来い」等と息巻く一面もあった。
 
*また、子煩悩でも知られ、高田がんの[[選挙演説|立会演説会]]会場には、彼の子供達がズラリ一列に並ぶ事もあった。
 
*実家は纏まった山林を持つ地主で、外部の支援を受けていた事もあり、生涯を通して定職には就かなかった(「[[履歴書]]をこの数十年書いていない」と豪語していた)ものの、選挙資金に不自由していなかった模様。
 
*選挙公報は、活動初期の頃は国粋・右翼的文言が目立ち、中期になると、激情抑え難きところがあったのか、法華経を丸写ししたり「人心一新 高田がん」とだけ大書していた。後期は、激動の生い立ちを語り、数十回の選挙戦を懐古し、抱負を述べるという雛形に落ち着いた。なお、末期にはワープロを用いていた。
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