「松田辰雄」の版間の差分

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== 人物 ==
[[1946年]]、[[順位戦]]B級に参加し、[[1948年]]にA級に昇級。この年はB級の上位1名とA級の上位3名が名人挑戦者決定戦に進出し、4者パラマス方式で挑戦者が決定された。松田はA級2位で、B級1位の[[五十嵐豊一]]をまず下し、A級1位の[[木村義雄]]と三番勝負に挑んだ。
 
名人復帰に燃える木村を相手に、関西出身の松田は盛大な声援をバックに対局した。先手番の第1局は居玉、後手番の第2局は「阪田流向飛車」で挑んだが、2連敗で挑戦はならなかった。木村はその後、名人の[[塚田正夫]]から名人を奪取した。