「絶対年代」の版間の差分

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相対年代は、考古学の場合は[[遺物]]・[[遺構]]・[[遺跡]]の型式から[[型式学]]によって変遷の状況をつかみ、[[層位学的研究法|層位学]]によって新旧関係を検証するもので、両者を総合して相互の新旧を決めるものである。そのため、考古学研究および発掘調査が開始された初期の段階では、日本では[[貝塚]]、西アジアでは[[テル]]([[遺丘]])、ヨーロッパでは[[洞窟]]遺跡など、多くの層が積み重なる遺跡が好んで調査された。
 
今日では、[[テフラ|広域テフラ]](広域降下火山灰)を利用して広い地域にわたる相対年代を割り出すことが可能となった。降下火山灰の中にはその同定のカギとなる特殊な物質を含むものがあり,その同定を通して日本列島の広い部分を覆う[[後期旧石器時代]]の[[姶良丹沢Tn火山灰]](ATテフラ)や[[縄文時代]]の[[鬼界アカホヤ火山灰]](K-Ahテフラ)が相対年代を決めていく際の標準になることが判明した。また、より狭い地域に降下する火山灰の同定も飛躍的に進んだため、火山灰相互の新旧関係も精緻化している。これにより、遺構の内外で降下火山灰が検出された場合、その検出地点や検出状況によって、遺構・遺跡と火山灰降下時期との新旧関係、さらに遺構相互・遺跡相互の新旧関係を決めていくことができる。
 
相対年代は考古学的な調査や研究の基礎になるものではあるが,あくまでも相互の新旧関係を決めるだけにとどまるので、文字資料のある時代([[歴史時代]])においては、それを絶対年代、さらには暦年代(実年代)に近づける努力が必要である。火山灰のなかには、北日本一帯に降下した[[十和田a火山灰]](To-aテフラ)のように、『[[扶桑略記]]』に「[[延喜]]15年」([[915年]])の記事として「出羽国言上雨灰降高二寸…」という記載があり、暦年代がはっきりわかっているものもある<ref>ただし、これについては暦年代として採用してよいか等さまざまな異論もある。</ref>。