「平成維震軍」の版間の差分

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==概要==
[[1992年]]、[[小林邦昭]]、[[越中詩郎]]が当時の抗争相手であった[[青柳政司]]率いる誠心会館の自主興業に、新日本プロレス選手会の許可を得ずに参戦した事が原因で選手会と対立。越中は選手会を脱退しこれに同調した[[木村健悟]]さらに誠心会館の青柳、[[斎藤彰俊]]と共に'''反選手会同盟'''を結成、本隊と抗争を開始する。なお、この時の選手会長は[[蝶野正洋]]であり、越中と蝶野が犬猿の仲にあるのはこの事件が引きがねである。[[1993年]]には[[後藤達俊]]、[[小原道由]]が加入し、'''平成維震軍'''と改名。名付け親になったのは、当時の越中番である週刊ゴングの金澤克彦である
 
結成当初は全員が袴をはき、髪を丸坊主または[[スキンヘッド]]にして、結束の証としていた。中でも、後藤は髪の毛はおろか眉毛まで剃り落とし、[[ザ・グレート・カブキ]]は肩までの長髪からスキンヘッドにした上、ペイントを頭部にまで描いていた(後にコスチュームや髪型は各人の自由となる)。また、トレードマークとして「覇」と書かれた旗を誇示し、平成維震軍が勝利を収めた際には、リング上でその旗を振ることもあった。