「子産」の版間の差分

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→‎史上初の成文法: 叔向は宰相にはなっていません
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==史上初の成文法==
そして[[紀元前536年]]、中国史上初めて成文法を制定した。『左伝』にれば「参辟」とう法律を定めて鼎([[青銅器]])に鋳込んだう。この法律の具体的内容については伝わっていない。成文法を作ったことに関して各国から批判が相次いだ。中でも晋の賢臣<!--宰相にはなっていません-->と言われる[[叔向]]からは「(そうやって法律を定めては)あなたが生きている間は良いですが、あなたが死んだ後はどうなるのですか。滅んだ国には法律が多いと言いますが、まさしくそれに当てはまるのではないのですか。」と言われ、子産はこれに答えて「確かにあなたの仰るとおりですが、私は不才ですので生きている間の事を考えるのが精一杯で、子孫達のことまで考えてやれません。」と答えた。
 
なぜこの子産の行動が批判されたかと言えば、[[儒教]]的・あるいは[[老荘思想|老荘]]的な考え方からすれば、法律を多くして民を縛るのは亡国の証だという。儒教の観点から言えば、「本来は統治者の徳によって民を治めるべきなのに、法律を多くして法を持って民を治めようとすれば民は統治者に親しみを感じなくなり、生業をまじめにやらなくなってしまう。」となる。老荘的考え方からすれば、「法をもって民を治めようとすれば、民はその法に従うのではなく、法の網目をかいくぐって自分の利益になるように図るだろう。」となる。このような統治方法の錯誤と言う観点からの批判と考えられる。
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