「八幡神」の版間の差分
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八幡神社の総本社は[[大分県]][[宇佐市]]の[[宇佐神宮]](宇佐八幡宮)である。元々は宇佐地方一円にいた大神氏の[[氏神]]であったと考えられる。農耕神あるいは海の神とされるが、[[柳田國男]]は鍛冶の神ではないかと考察している。[[欽明天皇]]の時代([[539年]] - [[571年]])に大神比義という者によって祀られたと伝えられる。
宇佐八幡宮の社伝『八幡宇佐宮御託宣集』などでは、欽明天皇32年(571年)1月1日に「誉田天皇広幡八幡麿」(誉田天皇は[[応神天皇]]の国風[[諡|諡号]])と称して八幡神が表れたとしており、ここから八幡神は[[応神天皇]]であるということになっている。
この宇佐八幡宮のいわゆる元宮とされる、[[福岡県]][[築上郡]][[椎田町]]の
また今の福岡県の[[飯塚市]]大分(だいぶ、[[嘉穂
== 祭神 ==
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