「ヴァロワ=ブルゴーニュ家」の版間の差分

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もっとも、善良公はどっちつかずの形をとり、その関心をもっぱらネーデルラントに向けた。巧みな婚姻政策を行い、エノー、ホラント、ゼーラントの他、[[フリースラント伯|フリースラント]]、[[ブラバント公国|ブラバント]]、[[リンブルフの君主一覧|リンブルフ]]、[[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク]]を次々と獲得した。
 
ネーデルラントのみに関心を向ける善良公に対して、ベッドフォード公は自分の従妹で(上述[[ブルゴーニュ王朝]]の)[[ポルトガル王国|ポルトガル王]][[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]の娘である[[イザベル・ド・ポルテュガル|イザベル]]を善良公の3番目の妃にすることで、同盟強化を図ろうとした(この結婚の際に[[金羊毛騎士団]]が設立された)。ポルトガル王家との婚姻は善良公に利益をもたらした。当時のポルトガルはイザベルの兄[[エンリケ航海王子]]の許で航海事業が発達していたため、毛織業の市場が拡大したばかりではなく、東方([[オリエント]])の産物も多数国内へもたらされたからである。逆にポルトガルには洗練されたフランドルの文化がもたらされた。日和見主義を採る善良公であったが、イザベルと結婚した[[1429年]]にそれを一変させる出来事が起きた。[[オルレアン包囲戦]]である。
 
==== ジャンヌ・ダルクとアラスの和平 ====