「阪神急行電鉄」の版間の差分

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=== 梅田駅付近の変遷 ===
神戸線の開業時、梅田駅 - 十三駅間は宝塚線と線路を用しており、さらには[[併用軌道]]も残存していた。また起点となる梅田駅にしても、当時地上を走っていた[[日本国有鉄道|国鉄]][[東海道本線]]を乗り越える形で、[[大阪駅]]の南側へ箕有時代に設けられた地上駅を、2面2線から3線へ拡張させただけで使用していた。
 
しかし、運転本数の増加により将来的には裁ききれなくなることが予想されたこと、それに阪神・国鉄との競合上、併用軌道を残したままでは高速化による対抗が困難であったことから、同区間の線路別[[複々線]]化・[[専用軌道]]化が決定された。[[1924年]](大正13年)に[[新淀川]]橋梁の架け替えを行ったことからこの工事は始まり、[[1926年]](大正15年)[[7月5日]]に完成する。これに伴い梅田は2面4線の高架駅となったが、地上の併用軌道区間に関しても、[[1949年]](昭和24年)[[1月1日]]に休止となるまで[[阪急北野線|北野線]]という支線扱いで、[[北野駅 (大阪府)|北野駅]]に至る区間までが残存した。さらにこの用地は北野線休止後の[[1959年]](昭和34年)、[[阪急京都本線|京都線]]梅田乗り入れに伴う三複線化工事の際に活用されている。