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==沿革==
[[日本書紀]]には[[斉明天皇]]5年3月に[[阿倍比羅夫]]が胆振[金且](いぶりさえ)の蝦夷(えみし)を饗応したとあり、後に[[新井白石]]は胆振[金且]は勇払郡域(ユウフツ場所)に当たるとの説を唱えている。
 
[[江戸時代]]の勇払郡域は[[蝦夷地|東蝦夷地]]に属し、[[松前藩]]によってユウフツ[[場所]]が開かれていた。[[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]、国防のため[[寛政]]11年勇払郡域は[[天領]]とされたが、[[文政]]4年には一旦松前藩領に復したものの、[[安政]]2年再び天領となり[[仙台藩]]が警固をおこなった。
 
*[[1869年]][[8月15日]] - 勇払郡が置かれる。[[北海道 (令制)|北海道]][[胆振国]]に含まれた。
*[[1902年]][[4月1日]] - 北海道二級町村制施行に伴い、勇払郡に苫小牧村が成立する。(1村)
*1906年4月1日(3村)