「ひやむぎ」の版間の差分

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== 由来 ==
日本にて細い麺を食べる文化は[[奈良時代]]の初期に[[中国]]から伝えられた[[素麺#素麺の伝来麦縄|索餅・麦縄]]から始まったという説が広まっているが、その具体的な形状がよく解明されておらず長い間手伸ばし・手延べの麺と考えられている。現在の[[素麺]]に近いスタイルの索麺(そうめん)が普及するようになるのは[[室町時代]]に入ってからであるが、その時代の文献には新たな製法、[[包丁]]などの[[刃物]]で切って作る麺(切り麺)が登場した<ref name="dantai1">[http://www.nichimen.or.jp/zatsugaku/15_01.html 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第15回『ひやむぎ』(-1-)」]より。</ref>。[[一条兼良]]が書いたとされる『[[往来物|尺素往来]]』には''索麺は熱蒸、截麦(きりむぎ)は冷濯(ひやしあらい)'' との一節があり、当時索麺は蒸して熱いところを食べるのが主流で、截麦は冷やして食べるのが主流だったと伺える<ref name="dantai1"/>。また[[15世紀]]の[[日記]]類には、截麦のほか、''切麺、切麦、冷麦、冷麺、切冷麺'' といった言葉が頻繁に出ており<ref name="dantai1"/>、同時代に頻繁に登場するようになった「[[うどん|饂飩(うどん)]]」とは明確に区別され、それとは形状の異なる切り麺であり、素麺と並べて論じられているので、形状は素麺に近い細い切り麺と推測されるのと、「冷麦」の読みは明らかに「ひやむぎ」であるため、この時期には「素麺に近い細い切り麺=ひやむぎ」という概念は誕生していた模様である<ref name="dantai2">[http://www.nichimen.or.jp/zatsugaku/15_02.html 日本麺類業団体連合会HP「麺類雑学辞典:第15回『ひやむぎ』(-2-)」]より。</ref>。 時代が過ぎ[[元禄]]10年の本草書『[[本朝食鑑]]』では、''うどんは寒い時期のものであり、ひやむぎは暑い時期に良い'' との内容で書かれており、この時代にはうどんとひやむぎの季節による食べ分けが定着していたと推測される<ref name="dantai2"/>。他には、小麦粉を水で練ったものを細く切り、茹でて食べるものを「切り麦」と呼んでいたが、これを暖めて食べるものを「饂飩」、冷やして食べるものを「冷麦」と分けたから、さらに、うどんが温かさを保つために太くなっているのに対し、ひやむぎは、より冷たい状態で食べるため次第に細くなっていった という説がある。
 
== 食べ方 ==