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'''備中神楽'''(びっちゅうかぐら)は[[神楽]]の様式のひとつ。
'''備中神楽'''(びっちゅうかぐら)は[[神楽]]の様式のひとつ。[[岡山県]]の[[備中]]地方を中心に[[郷土芸能]]として行われている。旧来の[[荒神]]神楽に[[高梁市]]出身の神官で国学者の[[西林国橋]]が[[文化 (元号)|文化]]・[[文政]]年間、神代神楽を加えて完成された神楽である。[[1979年]]2月24日に国の[[重要無形民俗文化財]]に指定された。
 
== 概要 ==
'''備中神楽'''(びっちゅうかぐら)は[[神楽]]の様式のひとつ。[[岡山県]]の[[備中]]地方を中心に[[郷土芸能]]として行われている。旧来の[[荒神]]神楽に[[高梁市]]出身の神官で国学者の[[西林国橋]]が[[文化 (元号)|文化]]・[[文政]]年間、神代神楽を加えて完成された神楽である。[[1979年]]2月24日に国の[[重要無形民俗文化財]]に指定された。
備中地方では古来より荒神に奉納する神楽として荒神神楽が行われていた。これは主に[[サルタヒコ|猿田彦]]の舞・剣舞を中心としており、現在の備中神楽のように郷土芸能というよりはより神事に近いもので、神職のみが行っていた。しかし、文化・文政年間に京都で[[国学]]を学んでいた西林国橋が[[古事記]]・[[日本書紀]]・[[古今和歌集]]などを参考に、[[能]]・[[狂言]]・[[歌舞伎]]など成熟しつつある芸能を取り入れて演芸性の高い神代神楽を加え、それまで神職のみが行っていたものを神職外の神楽太夫などが奉納するようになった。
 
現在では郷土芸能としてだけではなく、備中地方の各地区で田舎芸能として行われ、住民に親しまれている。
 
== 特徴 ==
備中地方では古来より荒神に奉納する神楽として荒神神楽が行われていた。これは主に[[サルタヒコ|猿田彦]]の舞・剣舞を中心としており、現在の備中神楽のように郷土芸能というよりはより神事に近いもので、神職のみが行っていた。しかし、文化・文政年間に京都で[[国学]]を学んでいた西林国橋が[[古事記]]・[[日本書紀]]・[[古今和歌集]]などを参考に、[[能]]・[[狂言]]・[[歌舞伎]]など成熟しつつある芸能を取り入れて演芸性の高い神代神楽を加え、それまで神職のみが行っていたものを神職外の神楽太夫などが奉納するようになった。
 
特に[[茶利]]である[[松尾大明神]](まつのおだいみょうじん)と[[太鼓]]奏者との[[漫才]]のような掛け合いが独特で人気がある。
 
== 関連項目 ==
*[[神楽]]
*[[祭]]
*[[備中神楽面]]
 
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