「松柳亭鶴枝」の版間の差分

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最初は[[春風亭柳枝 (2代目)|2代目春風亭柳枝]]の門で噺家になったがすぐに廃業し、[[幇間]]の[[桜川芝孝]]の門で小芝、噺家に戻り[[談洲楼燕枝 (初代)|初代談洲楼燕枝]]の門で鶴枝となった。「[[百面相|生人形]]」を得意とした。
 
自身の持ち芸、百面相に生人形の名称を付け演じたのが好評となった。特に歌舞伎役者の顔芸が得意で[[片岡仁左衛門 (10代目)|10代目片岡仁左衛門]](3(三代目[[片岡我童]])の真似では他の追随を許さなかった。そのため「[[]]」(仁左衛門家の[[屋号]])と言われた「鮹のゆであがり」(鮹が茹で上がるまでを生人形で演じきる)の芸はこの人が元祖で「上赤の鮹」という口癖があった。
 
鶴枝は[[鹿芝居]]にも度々出演していた。