「TBU (航空機)」の版間の差分

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== 生産・運用 ==
[[1941年]]暮に初飛行したXTBU-1は性能面ではXTBF-1を上回っていたにもかかわらず、'''TBU-1'''として発注を受けたのは[[1943年]][[9月]]になってからのことであった。これは試作型から量産型として試作型の細かな点を改良することに手間取ったことと、この時ヴォート社は[[F4U_(航空機)|F4U]]の生産で手一杯だったことから、TBUの生産に廻すラインの都合がつけられなかったためである。<br>
このため、翼内機銃の追加/AN・AN/ASP-4レーダーの装備/HVAR・HVARランチャー及び翼下兵装パイロンの増設エンジンのR-2800-20への換装 といった改良がなされると共に生産は[[コンソリデーテッド・エアクラフト|コンソリデーテッド社]]に移管され、名称も'''TBY-2'''となった。この時には既にライバルのTBFは大量生産され続々と実戦配備されており、本機の活躍の場が制限されるのは明白な状態であった。
 
XTBUの発注が遅れた最大の理由は、搭載したR-2800エンジンが当時の主力戦闘機として大量生産を実施していた[[F6F_(航空機)|F6F]]や[[F4U_(航空機)|F4U]]と同じであったため、本機にまでエンジンを供給する余裕がなかったためである。また、離着艦必要距離が長く、従来型の翼折り畳み方式のために小型空母での運用が困難な本機と違い、TBFはカタパルトによる発艦を前提とした設計とし、主翼の折り畳み方式を工夫して小型の護衛空母への搭載が容易であることなど実用面で優れており、生産も順調だったことから、海軍ではこれ以上新機種を採用して生産することに消極的だったことも発注遅延の要因だった。
 
TBY-2としては1100機の発注を受けたが、コンソリデーテッド社も[[B-24 (航空機)|B-24爆撃機]]の生産を初めとして生産能力に余裕がなかったため、TBYの生産は[[1943年]]にコンソリデーテッド社と合併した[[バルティ|ヴァルティー]]社の工場で行われることとなった。しかし、ヴァルティー社は大型の艦載機を生産した経験がなかったために生産ははかどらず、生産第1号機が海軍に引き渡されたのは[[1944年]][[11月]]になってのことであった。結局その後も生産は遅々として進まず、[[1945年]][[9月]]までに180機が完成したが、[[太平洋戦争]]終結により残り以降生産発注分はキャンセルとなった。
 
部隊配備は[[1945年]][[4月]]から開始され、海軍第97雷撃航空隊(VT-97)が本機を受領し部隊編成が行われたが、慣熟訓練中に太平洋戦争が終結したため対日戦には参加することなく終わった。戦後は、陸上基地において雑用機として用いられた。
 
 
TBU/TBYTBF(TBM)TBFは[[F4U (航空機)|F4U]]と[[F6F (航空機)|F6F]]に類似した関係であったが、F4Uと違い、TBUが戦後も長く使われる事はなかった。TBUは、高性能機が必ずしも成功するとは限らない、といういくつかの例の一つである。
 
== スペック ==