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[[ファイル:Claudia octavia13.jpg|thumb|クラウディア・オクタウィア胸像]]
'''クラウディア・オクタウィア'''(ラテン語:'''Claudia Octavia''', == 略歴 ==
当初はクラウディウスによって[[ユリア (アグリッパの娘)|小ユリア]]の孫にあたるルキウス・ユニウス・シラヌスと婚約させられていたが、メッサリナの死後クラウディウスが[[小アグリッピナ]]との関係を深めるとこの婚約は破棄された。自らの子ネロを帝位に就けるため、ネロとオクタウィアの結婚を小アグリッピナが望んだためといわれている。49年にクラウディウスと小アグリッピナが結婚すると、同じ年にオクタウィアもネロと婚約した。その後50年2月25日にネロがクラウディウスと養子縁組を行い、小アグリッピナの連れ子から皇帝の養子とその立場を変える。
53年に12歳でネロと正式に結婚。54年に父クラウディウスが死ぬと夫ネロが皇帝となる。翌55年には弟ブリタンニクスがネロにより晩餐の最中に暗殺されている。
ネロは女奴隷である[[アクテ]]([[:en:Claudia Acte|en]])を実質上側室とするなど性的に放縦な傾向を示していたが、オクタウィアは貞淑な妻として夫に尽くしていたといわれる。その後ネロが友人[[オト]]の妻であった[[ポッパエア・サビナ]]に心を惹かれるようになると58年にオトは[[ルシタニア]]総督を命じられ、ローマから引き離された。ネロはポッパエアとの結婚を望んだが、ネロの母小アグリッピナは野心の強い女との結婚には反対し、高貴な血を引くオクタウィアとの離婚を許さなかった。
しかし59年に小アグリッピナがネロによって [[6月9日]]、オクタウィアは縄で縛り上げられ、手足の血管を切り開かれて自殺させられた。また、ポッパエアへ見せるためにオクタウィアの首は切断され、ローマへ運ばれた。ローマ市民から愛されたが、夫からはあまり愛されなかったといわれている。なお、オクタウィアの死から6年後の同日にネロも自殺した。
彼女を題材に、セネカ作といわれる悲劇『[[オクタウィア (悲劇)|オクタウィア]]』が作られた。
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[[Category:ユリウス・クラウディウス家]]
[[Category:クラウディウス氏族|おくたういあ]]
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