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=== 誕生から解散まで ===
デビュー当時は渡辺プロダクション(現在の[[ワタナベエンターテインメント]])に在籍していた。
メンバーは、リーダーの[[島田与作]](異名:イタッケ島田、[[ベース (弦楽器)|ベース]])、[[グッチ裕三]]([[ボーカル]])、スリム冬樹(現[[モト冬樹]]、[[ギター]])、[[ウガンダ・トラ|ウガンダ]](ウガンダ・トラ、[[ドラムセット|ドラム]])の四人
当時のネタとしては、歌謡曲やらオールディーズの替え歌で「ウガンダ=デブ、モト冬樹=ハゲ、島田与作=若作り」を歌に交えて、イジって笑いを取っていた。
===ビジーフォー・スペシャル===
しばらくのブランクを経た後、新たにウーロン茶(ベース)、紅一点([[キーボード (楽器)|キーボード]])、ロバよしお(ドラム)の三人が加わり、'''ビジーフォー・スペシャル'''として再スタート
この頃から本格的にものまねを始め、[[1983年]]から出演の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ものまね王座決定戦]]では最多の5回の優勝を果たし、ものまねブームの立役者となる(中心メンバーのグッチとモトのペアの出演だけでも「ビジーフォー・スペシャル」として表記される)。
その他、[[夜も一生けんめい。]]([[日本テレビ放送網|NTV]])などで活躍した。
のちにロバよしおが辞め、エデン東(ドラム)が加入、[[マネージャー]]兼見習いメンバーとして北海龍が参加している。
なお、ビジーフォー・スペシャルになってからもビジーフォーと呼ばれることがあった。
===分裂===
[[1992年]]にグッチは「[[グッチ裕三とグッチーズ]]」を、モトらは新メンバーを加え「[[モト冬樹とナンナラーズ]](結成当初はモトとフリーマーケット)」を立ち上げ
===解散の真相===
解散の理由は[[清水アキラ]]の著書によれば「金の縺れ」であるという。[[ものまね王座決定戦]]では再三不仲ぶりがネタにされていた。
[[アゴ勇]]が[[日刊ゲンダイ]]によるインタビューの中で、メンバーの不仲を暗に語っている[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080607-00000002-gen-ent]。1980年代後半、当時の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]社屋の近くにあったウガンダの自宅にアゴは居候していた。ウガンダ宅に[[山田邦子]]、[[ジャガー横田]]、[[森公美子]]、[[ブラザー・コーン]]など数多くのタレントが出入りしていたにもかかわらず、アゴはビジーフォーの面々を見かけなかったという。
==エピソード==
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