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'''三氏'''(さんかんし)は[[中華人民共和国|中国]]における[[氏]]で、[[春秋時代]]・[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に栄えた[[魯|魯王朝]]第15代[[君主]]'''[[姫允|桓公]]'''の子孫[[孟孫氏]](仲孫氏)・[[叔孫氏]]・[[季孫氏]]の事を指す。
 
==概要==
現在の[[中華人民共和国|中国]]の[[山東省]]南部に栄えた[[魯|魯王朝]]の第15代[[君主]]'''[[公]]'''(かんこう)の子に生まれた3兄弟は後に第16代君主の'''[[荘公 (魯)|荘公]]'''の[[重臣]]となり、[[孟孫氏]](仲孫氏)・[[叔孫氏]]・[[季孫氏]]に分かれて代々[[魯]]の実権を握る事となる。中でも特に権力を極めたのが季孫氏で、代々[[司徒]]の役職に就き、叔孫氏が[[大司馬|司馬]]、孟孫氏(仲孫氏)が[[司空]]を務めた。
 
[[魯|魯王朝]]第23代[[君主]]'''[[昭公]]'''が[[紀元前566年|前566年]]に季孫氏を攻めるが、三氏の軍事力に屈し、国外追放された。また、[[魯|魯王朝]]第24代[[君主]]'''[[定公]]'''が就任してから8年目の[[紀元前517年|前517年]]に季孫氏の有力家臣であった[[陽虎]]が叔孫氏・孟孫氏(仲孫氏)の家臣を従えて、三氏の君主を追放する[[反乱]]を起こしたが陽虎は敗れ、国外追放された。
 
その後政治の実権を握っていた陽虎が三氏から離れた結果、三氏は[[政治]]上[[失脚]]し、[[反乱]]を起こすなど最後まで抵抗を続けたが滅びた。
 
==関連項目==