「寿曽我対面」の版間の差分

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== さまざまな演出 ==
レビュー形式の演目だけに江戸時代には毎年さまざまな演出が行われてきた。[[戸板康二]]によれば、「釣狐の型」や工藤が鳥目になったり、障子で琴を弾いたりするのがあった。[[桜田門外の変]]をとりこんだ「雪の対面」もあったという(『名作歌舞伎全集第13巻』東京創元新社、1969年)。現行では、出演俳優の都合上、朝比奈役を女形が「小林の妹・舞鶴」として出演することがある。大阪では[[尾上多見蔵 (3代目)|三代目尾上多見蔵]]が源頼朝役で特別出演する演出があったが、これは多見蔵の引退興行のためであった。
 
関東と関西で多少の演出の違いがあり、工藤が兄弟の父の最期の様を語る件で背面の襖を開けて富士山の遠見を見せるのが関西のやり方である。
 
== その他 ==
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* 五郎の隈は『むきみ隈』とよばれ『[[助六]]』の花川戸助六と同じであるが、助六は実は曽我五郎という役どころであるので一致しなければならないのである。
* 兄弟が登場するとき、舞台の並び大名が「アーリャ・コーリャ・デッケエ(ドッコイ)」という化粧声をかける。五郎が揚げ幕から出て腰を落としてから七回。花道のスッポンから舞台までが五回。舞台できまるまでを三回と定めている。
* 工藤は座頭級の役者が受け持ち、動きこそ少ないが、他の役者を圧倒するだけの貫禄を持つことが求められる。古くは[[中村歌右衛門 (5代目)|五代目中村歌右衛門]]、近年では[[片岡仁左衛門 (13代目)|十三代目片岡仁左衛門]]が、不自由な身体ながらも抜群の存在感を示していた。五代目歌右衛門は、「工藤という役は位置と貫目で見せる役なのです。重味があり、芝居全体を統一する力がないと無理かと思います。・・・仕所と云ってはなく、全く位で見せる役とでも云ったらよいでしょう」と語っている
 
'''「工藤という役は位置と貫目で見せる役なのです。重味があり、芝居全体を統一する力がないと無理かと思います。・・・仕所と云ってはなく、全く位で見せる役とでも云ったらよいでしょう。」(五代目中村歌右衛門)'''
 
*明治36年3月の上演の際は、九代目市川團十郎の工藤に、若き日の[[六代目尾上菊五郎]]と[[六代目尾上梅幸]]、[[六代目坂東彦三郎]]がそれぞれ五郎、十郎、八幡を演じた。この上演には、2月に父五代目菊五郎を亡くした三人の遺児を引き立てる團十郎の意思が働いていた。團十郎は[[口上]]でも「弱きを助け孤独を哀れむ皆様方のお引き立てを」と述べ、劇中の工藤の台詞「その面差し、ハテ誰やらに似たわ似たわ」のときには團十郎の眼に涙が光っていたという
 
== 登場人物 ==