「蕭昭業」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{改名提案|t=ノート:蕭宝巻|date=2009年1月}}
{{基礎情報 中国君主
|名 =廃帝 蕭昭業▼
|代数 =3
|呼称 =皇帝
▲|廃帝 蕭昭業
|画像 =
|説明 =
|王朝 =斉
|在位期間 =[[493年]] - [[494年]]▼
|蕭昭業▼
|都城 =
|[[473年]] - [[494年]]▼
▲|諱 =蕭昭業
▲|[[493年]] - [[494年]]
|字 =元尚
|[[蕭長懋]]▼
|諡号 =
|王宝明▼
|廟号 =
|生年 =[[
▲|父 =[[蕭長懋]]
▲|母 =王宝明
|皇后 =
|陵墓 =
|年号 =[[隆昌]]:[[494年]]
|注釈 =幼名は'''法身'''
}}
'''廃帝 昭業'''(はいてい しょうぎょう
▲'''廃帝 昭業'''(はいてい しょうぎょう、[[473年]] - [[494年]]、在位:[[493年]] - 494年)は、[[中国]]の[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の[[斉 (南朝)|斉]]の第3代皇帝。姓は蕭、[[諱]]は昭業、[[字]]は元尚、幼名は法身。第2代皇帝[[武帝 (南朝斉)|武帝]]の孫。斉の廃帝には他に[[廃帝昭文|海陵王(蕭昭文)]]、東昏侯([[蕭宝巻]])がいることから、名を加えて呼ばれるか、死後の位から'''鬱林王'''と通称される。
父で皇太子であった蕭長懋の死により、皇太孫に立てられる。その2ヶ月後には武帝も亡くなったため即位した。まだ20歳過ぎと若かったことから、竟陵王[[蕭子良]]と西昌侯[[明帝 (南朝斉)|蕭鸞]]が政務を輔けた。
|