「新発田藩」の版間の差分

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江口磐世☆ (会話 | 投稿記録)
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その後、十一代藩主・溝口直溥の代になって、10万石への高直しを幕府に申請して、これは認められたが、これには藩内でも、家格が上がると言うメリットと、財政窮迫の折りの今更の高直しはかえって過剰な加役を加えられるのではというデメリットを巡って論争が起こった。
 
[[戊辰戦争]]では新政府側よりの立場をとろうとするも、周辺諸藩の[[奥羽越列藩同盟]]の圧力に抗しきれず、やむなく加盟。同盟側は新発田藩を参戦させようと謀り、藩主・溝口直正を人質にとろうと試みたが、新発田藩の領民の強い抵抗にあい、阻止される。その後、新発田藩は新政府軍に合流し参戦することとなり、その結果、新発田の地は戦火から守られることとなった。ただし、この時の新発田藩の行動は[[越後長岡藩]]などからは明らかな裏切り行為と見られ、周辺地域との間にしこりを残すことにもなった。
 
ともあれ溝口氏は[[明治時代]]に至るまで、[[改易|取り潰し]]にあうことなく、12代にわたって新発田を統治したのである。