「加藤進 (アナウンサー)」の版間の差分

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'''加藤 進'''(かとう すすむ、[[1947年]][[1月21日]] - )は、[[広島テレビ放送|広島テレビ(HTV)]]の元[[アナウンサー]]。<br>
 
[[滋賀県]][[大津市]]出身。[[広島大学]]を卒業後、[[1969年]]に広島テレビへ入社。プロ野球などスポーツ中継で活躍した。また報道制作局アナウンス部長を務めた。<br>
 
[[2005年]]4月からはアナウンス業務を外れ(その後も何度か番組に出たことはある)、[[2007年]]3月末をもって定年退職した。
 
==過去の主な担当番組==
*[[ひろしまTODAY60]]…1980 - 1980年代中期に放送されていた平日夕方の情報番組。視聴率が稼げず1年で終了した。
*[[NNNニュースプラス1ひろしま]]
*[[広島土曜ジャーナル]]
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== スポーツ中継で担当した試合 ==
=== プロ野球 ===
:*主に地元[[広島東洋カープ]]戦をメインに中継の実況として活躍していた。
*1984年9月15日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で[[長嶋清幸]]が[[西本聖]]から逆転サヨナラホームランを放った試合(翌16日にも[[江川卓 (野球)|江川卓]]から2試合連続サヨナラホームランを放っているが、この時は[[東京放送|TBS]]系列の[[中国放送|RCC]]が中継)。
*[[1986年の日本シリーズ]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦では第1戦の中継を担当。
:0-2で迎えた9回裏1死から[[小早川毅彦]]と[[山本浩二]]が西武先発の[[東尾修]]から2者連続ホームランを放ち、同点に追いついた。その後試合は延長14回時間切れで引き分け。これがシリーズ史上初となる第8戦までもつれ込むきっかけとなった。
*[[1986年の日本シリーズ]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦では第1戦の中継を担当。0-2で迎えた9回裏1死から[[小早川毅彦]]と[[山本浩二]]が西武先発の[[東尾修]]から2者連続ホームランを放ち、同点に追いついた。その後試合は延長14回時間切れで引き分け。これがシリーズ史上初となる第8戦までもつれ込むきっかけとなった。:その第8戦でも実況を担当。試合は3回裏に広島の先発[[金石昭人]]が西武の先発東尾から2ランを放ち先制したが、6回表に[[秋山幸二]]が金石から同点2ラン([[バック転]]をしながらホームインしたことで有名になる)と、8回表に[[ジョージ・ブコビッチ]]のタイムリー二塁打で3-2と逆転。最後を[[工藤公康]]が締めてシリーズ史上2度目となる「3連敗から4連勝の逆転日本一」の瞬間を伝えた。そして、この試合で現役を引退する山本浩二の引退セレモニーも併せて実況した。
 
*このほかにも日本シリーズは1984年(対[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス|阪急]])の第2戦、1991年(対西武)の第5戦の実況を担当した。
=== プロ野球 ===
:*主に[[広島東洋カープ]]戦をメインに実況していた。
*1984年9月15日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で[[長嶋清幸]]が[[西本聖]]から逆転サヨナラホームランを放った試合(翌16日にも[[江川卓 (野球)|江川卓]]から2試合連続サヨナラホームランを放っているが、この時は[[東京放送|TBS]]系列の[[中国放送|RCC]]が中継)。
*[[1986年の日本シリーズ]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦では第1戦の中継を担当。0-2で迎えた9回裏1死から[[小早川毅彦]]と[[山本浩二]]が西武先発の[[東尾修]]から2者連続ホームランを放ち、同点に追いついた。その後試合は延長14回時間切れで引き分け。これがシリーズ史上初となる第8戦までもつれ込むきっかけとなった。その第8戦でも実況を担当。試合は3回裏に広島の先発・[[金石昭人]]が西武の先発東尾から2ランを放ち先制したが、6回表に[[秋山幸二]]が金石から同点2ラン([[バック転]]をしながらホームインしたことで有名になる)と、8回表に[[ジョージ・ブコビッチ]]のタイムリー二塁打で3-2と逆転。最後を[[工藤公康]]が締めてシリーズ史上2度目となる「3連敗から4連勝の逆転日本一」の瞬間を伝えた。そして、この試合で現役を引退する山本浩二の引退セレモニーも併せて実況した。
*このほかにも日本シリーズは1984年(対[[阪急ブレーブス|阪急]])の第2戦、1991年(対西武)の第5戦の実況を担当した。
 
=== ゴルフ ===