「ラ・サール (ドック型輸送揚陸艦)」の版間の差分

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[[カリブ海]]での慣熟訓練の後、[[バージニア州]][[ノーフォーク]]を出航したラ・サールは10月9日にスチール・パイク・ワン作戦に参加する。アメリカ海軍とスペイン海軍合同の80隻以上が参加する複合演習であった。10月26日に[[スペイン]]のウェルバに寄港し、海軍省長官ポール・B・フェイ、海軍作戦副部長ホレーショ・リベロ、海兵隊司令官ウォーレス・N・グリーン、下院軍事委員会議長メンデル・リヴァースが乗艦し作戦を視察した。
 
演習は11月4日に終了し、ラ・サールは[[イタリア]]の[[ナポリ]]で[[北大西洋条約機構|NATO]]の上陸演習に参加するため第六艦隊に加わった。同艦は1963年3月13日にノーフォークに帰港する。5月1日からはカリブ海での演習に出撃し、7月1日に帰港している。
 
1966年頃は、アメリカ東海岸付近で作戦行動を行っている。また、1966年11月3日には、アセンション島近海でジェミニ2号の試験カプセルの回収を行っている。1967年には、整備のためにノーフォークの工廠へ長期入渠している。1968年11月には第六艦隊への配属のため、地中海に移動した。
 
1979年にはイラン革命に伴う混乱のために脱出する260名のアメリカ市民を支援するためにバンダル・アッバースで行動している。1980年には、ノーフォークでのオーバーホールのためにアメリカ本国へ帰港するが、1983年には中東の部隊の指揮を取るためにアラビア海へ派遣される。1986年には、イエメン内戦に伴い、紅海で行動している。、
 
1987年5月のスターク号誤爆事件の際は、救出艦として同艦を支援している。1990年の湾岸危機の際は、多国籍軍の海上部隊の調整を行っている。その後、改装を受け、1994年11月からは第六艦隊旗艦となっている。
 
また、2004年夏季オリンピックの際は、ギリシア水域のNATO軍の調整を行っている。2005年2月25日に、第六艦隊旗艦任務を[[マウント・ホイットニー (揚陸指揮艦)|マウント・ホイットニー]]に譲り、5月27日に解役された。
 
==関連項目==