「ワリ」の版間の差分

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ワリ文化の起源は、はっきりとはわかっていない。ただし、この地域にはワリ以前にワルパと呼ばれる地方文化があったことがわかっている。
 
ワリは、現在の[[ペルー]]沿岸部と高地部分全体に版図が広がっていたといわれているが、[[太平洋]]沿岸部におけるワリの支配が実際にどのようであったのかは、[[リマ]]近郊や[[ナスカ]]地方の一部を除けば、確実なことはほとんどわかっていない。[[ペルー]]北海岸にあった[[モチェ文化]]圏との接触は様々議論されている。かつてはワリの進入が[[モチェ]]政体の衰退を促したことが議論されていたが、現在ではこの説を否定する研究者が多い。また、ほぼ同じ時期に、[[アンデス]]中央高地南部にある現在の[[ボリビア]]北部では[[ティワナク]]文化が栄えていた。この時期を、[[アンデス文明|アンデス考古学]]の編年で、中期ホライズンという。現在、その編年はD.メンゼルの編年に基づきながら修正されつつ用いられている。
 
メンゼルの編年で1Bにあたるころからワリ文化が始まる。ペルー南海岸に栄えたナスカ文化の9期が、アヤクーチョ盆地チャキパンパ(Chakipampa)期にあたり、北海岸ではモチェV期に相当する時期である。おおよそ西暦600年頃である。その後、メンゼル編年でいう2Aに当たる時期が、アヤクーチョ盆地の編年のコンチョパタ期にあたり、おおよそ西暦700年頃まで続く。この時期がもっともワリ文化が栄えた時期である。
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