「二律背反」の版間の差分

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→‎哲学におけるアンチノミー: 英知体に振られたphenomenaをnoumenaに訂正。さらに、phenomane, noumenaを単数形にした。
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# 必然的な存在者の実在
これらそれぞれについて、純粋理性は経験的なものに対して、正命題と反命題として、矛盾を提出する。
これは、学問と哲学的な探求に対する制限を規定するカントの批判的企図の一部である。カントは、これらの矛盾を、それがいかに現実に反対するものによって方向付けられていても、あるいは批判的な解明なしに心に現れているに違いないにしても、いかなる場合にも矛盾は実在的ではない、ということによって解決すると主張する。従って、互いに矛盾する選択肢に関して同等に強い議論がなされているという意味で、カントのせいにすること―しばしばなされたように―は正しくない。困難は[[現象体]] (phenomenaphenomenon) と[[英知体]] (phenomenanoumenon) の領域の混同から生じている。実際、いかなる合理的な[[宇宙論]]も可能でない。
 
アンチノミーが論理的推論能力における制限を強調してはいないということもまた論じられる。なぜなら、制限が存在するという結論は論理的推論によってアンチノミーから(おそらく)導出され、従って論理的推論の妥当性におけるなんらかの制限は論理的推論における制限が存在するという結論についての制限を与えるからである。(これは[[自己言及]]による議論である)。要するに、論理的推論一般の妥当性に関して、アンチノミーは自己孤立的である。すなわち、アンチノミーは、なにものにも疑いを投げかけることができないが自分自身には疑いを投げかける、論理学の領域の範囲で散乱した断片に似ている。