「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」の版間の差分

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{{スペインによるアメリカ大陸の植民地化}}
'''スペインによるアメリカ大陸の植民地化'''(スペインによりアメリカたいりくのしょくみんちか)で[[15世紀]]から[[17世紀]]にける[[スペイン]]による[[新世界|新大陸]]の征服活動および[[植民地]]化活動の総称であについて説明する。
 
== 概要 ==
トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達は[[コンキスタドール]](征服者)と呼ばれた。また、コロンが到達した地に居住していた人々は、自らが[[インド]]に到達したと思ったコロンによって[[インディオ]]([[インド人]])と呼ばれたため、以降アメリカ大陸の人々はヨーロッパ人によってインディオや[[インディアン]]といった呼称で呼ばれるようになった。
 
コンキスタドーレスの初期のアメリカ大陸での基本方針は、[[レコンキスタ]]終焉後の宗教的熱狂から来る[[キリスト教]]の布教と、入植することよりもまず黄金や財宝をかき集めることにあった。コンキスタドーレスは[[マヤ文明]]、[[アステカ文明]]、[[インカ文明]]といったアメリカの文明を破壊して[[金]]や[[銀]]を奪い、莫大な富をスペインにもたらした。この過程で多くのインディオが[[虐殺]]され、キリスト教への改宗事業が進み、またインディオ女性に対する強姦が横行し、さらにヨーロッパ由来の疫病が[[免疫]]のない多数のインディオの命を奪った。スペインにもたらされた富はスペインの王侯貴族による奢侈や、[[オスマン帝国]]や[[オランダ]]、[[イギリス]]といった勢力との戦費に使用されてその多くがスペインから流出した。これは後の[[重商主義]]による奴隷制[[プランテーション]]や[[大西洋]][[三角貿易]]、[[ポトシ]]や[[グアナファト]]、[[サカテカス]]、[[ミナスジェライス州|ミナスジェライス]]の鉱山からの金や銀の流出に先駆けて、[[オランダ]]や[[イギリス]]における[[資本の本源的蓄積]]の原初を担った。
 
== 大アンティル諸島とカリブ海沿岸の征服 ==
[[1513年]]に[[フアン・ポンセ・デ・レオン]]が[[フロリダ半島]]を探検したのを皮切りに、[[北アメリカ]]の征服が始まった。[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]は1527年と1528年に[[フロリダ]]と[[ジョージア]]を通り、初めて[[テキサス]]へ入った。悲惨な遠征によって次々と隊員が倒れ、最終的に[[メキシコ市]]まで帰還できたのは[[アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカ]]ら4名のみであった。生還したカベサ・デ・バカは黄金の都[[シボラ]]の話を恐らくは誇張して聞かせた。その話に興味を示した[[エルナンド・デ・ソト]]は、1539年に[[フロリダ]]に上陸、[[アパラチア山脈]]まで北上した後に[[ミシシッピ川]]を渡り、西の[[オクラホマ州|オクラホマ]]まで探険した。
 
これとちょうど同じ頃の1540年、[[フランシスコ・バスケス・デ・コロナド]]は西から探険し、メキシコ市から北上して[[アリゾナ]]へ入って[[グランドキャニオン]]を「発見」し、[[カンザス]]に到達して1542年に帰着した。[[フェルナンド・デ・アラルコン]]は[[コロラド川]]に入り、[[フアン・ロドリゲス・カブリリョ]]は[[サンフランシスコ湾]]の北まで行った。しかしこれらの北アメリカの探険の全てが、黄金を発見するという目的としては失敗に終わった。
 
== 南アメリカの征服 ==
 
[[南アメリカ]]においては、15世紀半ばから中央アンデスの[[クスコ]]を拠点にタワンティンスーユ([[インカ帝国]])が勢力を伸ばし、大帝国を築いていた。しかし、インカ帝国は16世紀に入り、[[パナマ]]からヨーロッパの疫病がもたらされると[[サパ・インカ|皇帝]][[ワイナ・カパック]]をはじめ多くの人々が倒れた。1527年に帝位を巡ってクスコの[[ワスカル]]と[[キト]]の[[アタワルパ]]が[[内戦]]を繰り広げ、国力を消耗していた。現[[コロンビア]]に相当する地域では首長制国家が発達し、チブチャ系の諸部族が[[ムイスカ]]、[[シヌー]]、[[タイロナ]]、[[キンバヤ]]、[[カリマ]]などの諸王国を築いていた。その他の土地には、[[狩猟]]や[[採集]]によって生計を立てたり、原始的な[[農耕]]を行う人々が居住していた。
 
[[ファイル:Cerro ricco.jpg|220px|thumb|[[ポトシ]]の[[セロ・リコ]](富の山)。植民地時代には[[銀]]が、[[ボリビア]]独立後には[[錫]]が採掘された。ポトシの銀はヨーロッパ先進国に流入し、現在の繁栄の礎を築いたが、2007年現在のボリビアは未だに南米で最も貧しい国<ref>[http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/gaiko/oda/seisaku/enjyo/pdfs/bolivia_01an.pdf 「対ボリビア国別援助計画第一次案」平成19年 日本国外務省のホームページより]</ref>である。]]
 
征服後、[[スペイン|スペイン人]]を頂点とする厳格で抑圧的な[[植民地]]支配の体制が確立されていった。征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性を[[妾]]として性的関係を結ばせた。これによって[[メスティーソ]]の数がさら増加することとなる。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、[[アフリカ]]大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事した。
 
征服活動が一段落したのちは漸次制圧地域の安定化が図られ、南アメリカの[[エンコミエンダ]]制や[[コレヒドール (官職)|コレヒドール]]制、[[ミタ制]]といった植民地支配のための制度の整備は1569年から1581年まで着任したペルー副王[[フランシスコ・デ・トレド]]の統治によって完成した。ミタ制でかき集められ、ポトシの鉱山で強制労働に服したインディオは強制労働によって多数死亡し、「鉱山のミタ」はインディオから恐れられた。 [[ポトシ]]鉱山は1545年に現[[ボリビア]]共和国の南部に当たる地域に発見されたが、その豊富な銀を採掘するためにトレドの改革によって定められたミタ制によって[[ティティカカ湖]]周辺やクスコから集められた人々は酷使されたのである。トレドは1572年に[[水銀アマルガム法]]を導入して銀生産量を上げたが、採掘のために酷使された先住民の多くは苦役の末に死亡し、その数は100万人とも言われる。このようにインディオは[[奴隷]]や[[農奴]]として搾取され、安価で酷使される[[プロレタリアート]]となってスペイン人の経済活動に奉仕させられた。
インディオへのカトリックの布教も大々的に進められ、[[キリスト教]]への改宗と、[[インティ]]や[[パチャママ]]への信仰といった本来のインディオの信仰の廃棄が暴力を背景として進んだ([[強制改宗]])。一方で[[イエズス会]]の[[イエズス会伝道所|布教村落]]が築かれた[[パラグアイ]]などではスペイン・ポルトガル王権からのインディオの保護が進んだ。
 
[[ファイル:Bartolomedelascasas.jpg|thumb|[[バルトロメ・デ・ラス・カサス]]神父。バリャドリー論争のような困難の中でもインディオを擁護した]]
征服当初からの疫病(インディオは旧大陸の病気に免疫を持たなかった)、戦争、強制労働によって15世紀から17世紀までの間に数千万人単位のインディオの命が失われ、カリブ海の[[大アンティル諸島]]のようにインディオが絶滅した地域もあった。どれだけの人口減があったかは定かではないが、少なくともペルーでは、インカ帝国時代に1000万を越えていた人口が1570年に274万人にまで落ち込み、1796年のペルーでは108万人になった(数字はH.F.ドビンズの推計による)<ref>増田義郎・柳田利夫(著)『ペルー 太平洋とアンデスの国 近代史と日系社会』中央公論新社 pp.13</ref>。
 
 
== 後世に及ぼした影響 ==
この征服によって中南米社会の様相は一変し、現在に至るまで続く白人優位の下にメスティーソ、インディオ、黒人といった社会構造が形成された。スペインによって征服された地は[[インディアス]]、または[[イスパノアメリカ]]と呼ばれるようになった。
 
イスパノアメリカの[[ポトシ]]や[[グアナファト]]、[[サカテカス]]の鉱山では[[銀]]が、[[ベネズエラ]]では[[プランテーション]]農業で[[カカオ]]などが、[[インディオ]]や[[黒人]]の奴隷労働によって生産され、生産された富はスペインでは蓄積されずに戦費や奢侈に使われ、[[西ヨーロッパ]]諸国に流入して[[価格革命]]や[[商業革命]]を引き起こした。この[[重商主義]]的過程は、[[大西洋]][[三角貿易]]による[[イギリス]]領[[バルバドス]]や[[ジャマイカ]]、[[フランス]]領[[サン=ドマング]]での[[砂糖]]プランテーションによる収益や、18世紀の[[ゴールドラッシュ]]により[[ポルトガル領ブラジル]]からイギリスに大量に流出した[[金]]と共に、[[西ヨーロッパ]]諸国の[[資本の本源的蓄積]]を担い、[[オランダ]]や[[イギリス]]における[[産業資本主義]]の成立と、それに伴う[[ヘゲモニー]]の拡大を支えた。
 
== 脚註 ==
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<references />
 
== 参考文献 ==
* [[増田義郎]](編)『新版世界各国史26 ラテンアメリカ史II』山川出版社 2000年 (ISBN 4-463-41560-7)
* [[エドゥアルド・ガレアーノ]]『ラテンアメリカ五百年 収奪された大地』大久保 光夫訳 新評論 1970,1986
 
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