「ヌーヴォー・レアリスム」の版間の差分
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'''ヌーヴォー・レアリスム'''(Nouveau Réalisme)とは、[[1960年]]に[[美術評論家]]'''ピエール・レスタニ'''(Pierre Restany)と[[芸術家]]'''[[イヴ・クライン]]'''(Yves Klein)が[[フランス]]で結成した芸術家グループ、およびその芸術運動を指す。ピエール・レスタニは[[1950年代]]以来の[[アンフォルメル]]などの絵画運動に満足を感じていなかったが、大量生産品や消費されたあとの[[廃棄物]]を用いて美術作品を作り第二次大戦後の'''工業化社会'''の新しいリアリティを模索する作家たちに共感し、彼らと共に「新しいリアリズム(ヌーヴォー・レアリスム)」という運動を立ち上げようとした。
== ヌーヴォー・レアリスムの宣言から解散まで ==
レスタニは[[1960年]]4月、[[ミラノ]]のアポリネール・ギャラリーにてこのグループのための宣言文(マニフェスト)を書き上げ、[[1960年]][[10月27日]]に9人による共同宣言が行われた。これに参加した9人は、レイモン・アンス(Raymond Hains)、[[アルマン (美術家)|アルマン]](Arman)、ジャック・ド=ラ=ヴィルグレ(Jacques de la Villeglé)、[[イヴ・クライン]](Yves Klein)、ダニエル・スペーリ(Daniel Spoerri)、[[ジャン・ティンゲリー]](Jean Tinguely)、フランソワ・デュフレンヌ(Francois Dufrêne)、マルシャル・レイス(Martial Raysse)の8人の作家、そしてピエール・レスタニだった。[[1961年]]、さらにセザール(César、[[セザール・バルダッチーニ]])、ミンモ・ロテッラ(Mimmo Rotella)、[[ニキ・ド・サン・ファル]](Niki de Saint Phalle)、ジェラール・デシャン(Gérard Deschamps)が加わった。[[1963年]]には[[クリスト]](Christo)も加わっている。
グループの最初の展覧会は[[1960年]]11月に[[パリ]]の『アヴァンギャルドの祭典』(Festival d'avant-garde)を舞台に行われた。[[1961年]]5月にはパリのギャラリーJで『[[ダダ]]より40度高熱』展を、[[1962年]]には[[ニューヨーク]]で『ニュー・リアリスツ』展を、[[1963年]]にはサンマリノ・ビエンナーレにグループで出展したが、これが最後のグループ展となった。なお[[1970年]]には結成10年を記念して[[ミラノ]]で『凱旋』展を行っている。ヌーヴォー・レアリスム運動はイヴ・クラインの急死後、結束した活動を維持することが困難になり、短い活動期間を終え各作家は個別の活動に入っていった。
== ヌーヴォー・レアリスムの背景と手法 ==
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