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挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。当初は挿絵画家志望だったが、竜夫の影響で漫画家を志し、竜夫のアシスタントとして活動した後、[[赤本 (少年向け本)|赤本]]の描き下ろし単行本『あばれ天狗』でデビュー。『マッハ三四郎』などの作品で人気を博す。タツノコプロ設立後は、多くのタツノコアニメでプロデューサー・企画・監督などの重責を約40年間にわたって担い続けた。
 
幼少の頃に進駐軍を見て「日本人でいたくない」という願望を持つ。進駐軍払い下げのアメコミを読み『[[スーパーマン]]』に憧れる。(九里によると漫画デビュー作は「『スーパーマン』を子供にしたような漫画」である)。こうした原体験からその画風はアメコミ調である。さらに『[[マッハGoGoGo]]』などの手がけたアニメの世界観もアメリカ的である<ref>『動画王』vol.7 キネマ旬報社、1998年、76-94頁</ref>。
 
==経歴==