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{{ウィキプロジェクトリンク|紀年法}}
 
397年、[[北魏]]の[[拓跋珪]]が後燕首都である中山を包囲した際[[慕容宝]]は部下を率いて籠城し永康の元号を398年まで使用していた。しかし北魏軍が退却すると、後燕の貴族であった慕容詳が南燕皇帝を称して自立、建始と改元している。慕容詳は後に殺害され、代わって[[慕容麟]]が自立し、[[延平 (後燕)|延平]]と改元した。
 
しかし北魏軍が退却すると後燕の貴族であった慕容詳が南燕皇帝を称し自立、建始と改元している。慕容詳は後に殺害され、別の貴族である[[慕容麟]]が自立し[[延平 (後燕)|延平]]と改元した。
 
== 西暦・干支との対照表 ==
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== 関連項目 ==
*[[元号一覧 (中国)|元号一覧]]
*他王朝の[[建始]]
 
{{中国の元号|'''[[後燕]]'''|[[永康 (後燕)|永康]]|[[延平 (後燕)|延平]]|けんし}}
[[Category:五胡十六国後燕の元号|けんし]]
 
[[Category:後燕の元号|けんし]]
[[zh:建始 (慕容詳)]]