「ド・ゴール主義」の版間の差分

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シラクはゴーリストであり、1970年代半ばにフランス首相を務めた時期に、経済政策の遂行にあたり計画経済路線と[[レッセフェール|レッセ・フェール]]路線の両方でアプローチしたことがあった。また[[1978年]]、パリのCochin病院入院中に出した有名な[[欧州懐疑主義|反欧州主義]]的宣言『''[[:en:Appel de Cochin|Appel de Cochin]]''』では、[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]大統領の[[フランス民主連合]]がとる欧州主義や[[EEC]]拡大路線を公然と非難した。
 
しかし後年、シラクは[[親ヨーロッパ]]的(親[[欧州連合|EU]])スタンスをとるようになった。それゆえ、右派の中には、[[シャルル・パスクワ]]のように、シラクと彼の政党を「真のド・ゴール主義者」ではないと非難している者もいる。シラクの後任である[[ニコラ・サルコジ]]大統領は、[[2009年]]にフランス軍をNATOの統合軍事指揮権下に完全に復帰させという決定を下した。この決定は野党だけでなく、与党の国民運動連合の内部においても、とくにアメリカとの関係におけるフランスの独自的立場を損ねるものとして「ゴーリスト」たちの反発を招いた。
 
左派の中にもド・ゴール主義者はいる。ド・ゴールの政権運営手法を「恒久的な[[クーデター]]」と呼んで非難していた[[社会党 (フランス)|社会党]]の大統領[[フランソワ・ミッテラン]]でさえ、核抑止力の維持、およびフランスの独立路線を主張することに極めて熱心であった。