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[[1957年]]、[[映画]]『[[喜びも悲しみも幾歳月]]』の同名[[主題歌]]に抜擢、映画と共に主題歌も大ヒットし、一躍若山の名は知れ渡り、人気歌手の座を不動のものにした。同年『[[第8回NHK紅白歌合戦]]』に初出場、以後4回連続出場を果たす。翌1958年には再婚。
 
1963年には、コロムビアから[[作詞家]]の[[星野哲郎]]と共に[[日本クラウン]]の創立に参加しコロンビアから移籍、「老いらくの恋」などのヒットを出す。
 
1975年、シャンソン・カンツォーネ国際コンクールに出場し、銀賞を受賞する。
 
この他の曲に「愛情物語」、「南極観測隊の歌」、「氷海越えて」、「惜春鳥」、「さいはて岬」、「娘へ」、「戦いすんで日が暮れて」や「[[空の神兵]]」、「[[敵は幾万]]」、「[[加藤隼戦闘隊]]」、「昭和維新の歌(青年日本の歌)」、「[[月月火水木金金]]」などの[[軍歌]]、「長崎県民歌・南の風」、「木更津にて」など各地の[[ご当地ソング]]、『[[特別機動捜査隊]]』の挿入歌や[[プロ野球]]球団歌、[[読売ジャイアンツ|巨人軍]]「闘魂こめて」、「[[阪神タイガースの歌]](通称[[六甲山#六甲颪|六甲颪]])」などがある。「阪神タイガースの歌」は多くの歌手に歌唱されたが、若山の歌唱のものが[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]での阪神戦で流されたのが切っ掛けで、歌詞を覚えた当時[[朝日放送]][[アナウンサー]]だった[[中村鋭一]]によって多くのファンに広められ定着したとされる。
 
1990年には[[脳梗塞]]で倒れるも復帰。その後[[進行性核上性麻痺]]に罹り、闘病しながら歌手活動を行った。
 
1998年12月9日、死去。
 
== 関連リンク ==
*[http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/uta/050825/index.html 「ナガジン」歌で巡るながさき]
 
{{DEFAULTSORT:わかやま あきら}}