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[[Image:Macedonia and the Aegean World c.200.png|250 px|right|thumb|[[紀元前2世紀]]のギリシア]]
'''アエトリア同盟'''(英:Aetolian League、なおアエトリアは[[ラテン語]]発音で、[[ギリシア語]]発音ではアイトリア同盟)とは[[古代ギリシア]]の都市国家同士が複数結びついた同盟のひとである。[[紀元前370年]]に集結され、主に中央ギリシア、[[アエトリア]](アイトリア、[[:en:Aetolia]])地方の都市国家が主となった。
 
この同盟の目的は勃興激しかった[[アンティゴノス朝マケドニア]]に対するギリシア諸都市の同盟であった。同盟内部では複雑な都市同士の関係があり、全ての加盟都市の代表は一年に2回集まる事にはなっていたが、加盟都市ごとに同盟に対する依存度は異なり、必ずしもまとまった外交、軍事が得られなかった。また、この同盟の加盟都市には共通した度量衡、税制を採択する事が求められていた。
[[マケドニア戦争]]の折り、アトリア同盟都市は[[共和政ローマ]]の側に立ち、結果ローマは[[アンティゴノス朝]]の[[フィリッポス5世]]を敗った。しかしながらその数年後にはローマがよりギリシアに関与するようになると、徐々にローマの動きを危惧うるようになり、[[セレウコス朝|セレウコス朝シリア]][[アンティオコス3世]]と接近、そして[[紀元前189年]]にアンティオコス3世がローマに敗れるとアトリア同盟は同盟の求心力を失い、同盟単独で対ローマの姿勢を保つ事が不可能となり、ローマに追従する姿勢を余儀無くされた。以降、同盟自体は存続するものの、事実上の役割は終えた。
 
==関連項目==
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* [[共和政ローマ]]
 
{{DEFAULTSORT:あとりあとうめい}}
[[category:古代ローマの敵と同盟者]]
[[category:古代ギリシア]]
[[category:マケドニア王国]]
 
[[cs:Aitólský spolek]]