「からむしII世」の版間の差分

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== 建造の経緯 ==
隠岐の久見地区、加茂地区、津井地区には[[縄文時代|縄文期]]に[[縄文人]]が[[黒曜石]]を採取して[[石器]]の材料とした採石場が存在しているが<ref>[http://home.hiroshima-u.ac.jp/maibun/jiten/Koueki01.htm 広島大学埋蔵文化財調査室]</ref>、これらの地区で採取された黒曜石は[[本州]]でも出土している為、縄文人が何らかの舟艇によってこれを運搬したと考えられた。最も有力な説としては、丸太を削りだした丸木舟による海上輸送を行ったというものがあった。
 
この説の有効性を実証する為、[[松江市]]内の小中学校の教員たちの有志が「からむし会」と名乗る[[NPO]]組織を結成<ref>森浩一『地域学のすすめ』岩波新書、2002年、85-86ページ。なお、「からむし」とは縄文人の衣服に使用されたと考えられる植物の[[カラムシ]]から採られた(堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、97ページ)</ref>。[[千葉県の市]]畑町の落合遺跡(現・[[東京大学検見川総合運動場]])から出土した[[縄文時代]]の丸木舟をモデルとした丸木舟を建造して、[[隠岐諸島|隠岐]]から本州まで漕走するという計画を立案した<ref>同、96ページ</ref>。
 
「からむし会」はまず実物の3分の1の縮小模型(からむしI世と呼ばれる)を製作して丸木舟の性能を検討し、次いで輸入材を私費により購入。丸木舟「からむしII世」を建造した。
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== 注 ==
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== 関連項目 ==
[[隠岐の歴史]]
[[諸手船]]
 
{{DEFAULTSORT:からむしにせい}}
[[Category:船名]]
[[Category:隠岐の島町]]
[[Category:松江市]]