「東京モノレール羽田空港線」の版間の差分

抜本的な支援策として日立グループが新たに出資、1967年に東京モノレールに[[日立運輸]]・西部日立運輸の2社が合併して「日立運輸東京モノレール株式会社」と社名を改め会社再建にあたった。
 
その後、国際・国内空路の拡大とともに空港利用客は増加、[[首都高速道路]]の渋滞で[[路線バス]]やタクシーよりも速いとのイメージの定着から乗客は徐々に伸びていき、1970年代中頃には羽田空港へのアクセス路線として定着していった。経営も持ち直してきたこともあり、1981年には日立運輸100%出資で社名を「株式会社東京モノレール株式会社」とし、のちにグループ内の日立物流へと経営が受け継がれた。
 
[[1998年]]、それまで空港の外れの位置までで直接空港内には乗り入れておらず、アクセス路線としてはほとんど機能していなかった[[京浜急行電鉄]][[京急空港線|空港線]]が空港内に乗り入れてきた。さらに、[[京成電鉄]]、[[東京都交通局]]等の5社局(当時)が相互乗り入れすることよって羽田空港と[[千葉県]]方面を結び、羽田 - [[成田空港駅]]間の直通連絡特急の運転も開始した。そのため、浜松町でJR線と接続しているとはいえ広域で見た場合のネットワークにやや劣ることもあり、開通以降長らく続いてきた「羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関」から一転、激しい競争にさらされた。
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