「二階堂行親」の版間の差分

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行親死後は盛義の未亡人阿南(おなみ)の方(大乗院)が須賀川城主となり、家老の[[須田盛秀]]が実質的な城代となって、天正17年([[1589年]])に[[伊達政宗]]に攻め滅ぼされるまで領内を統治した。
 
一説によると盛義の次男照義(行親と同一人物かは不明)に義賢というがいて、後に佐竹氏に仕えたといわれている。
 
[[Category:二階堂氏|ゆきちか]]