「アフォンソ5世 (ポルトガル王)」の版間の差分

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[[1458年]]、アルカセル・セゲール征服。
 
[[1474年]]、[[アルジラ]]、[[タンジェ]]征服。これにより、モロッコで[[セウタ]]他四都市を掌握するアフリカ・ポルトガル帝国を形成、'''ポルトガル・アルガルヴェ、アフリカ海内海外王'''を名乗った。
 
同年、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[エンリケ4世 (カスティーリャ王)|エンリケ4世]]死去により、エンリケの異母妹イサベル(後の[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]])とエンリケの長女[[フアナ・ラ・ベルトラネーハ]]王女との間に王位を巡り抗争が起こった。
膠着状態に陥った継承戦争のさなか、王はフランスに赴いて[[ルイ11世 (フランス王)|ルイ11世]]とブルゴーニュ伯爵の援助を求めたが失敗した。教皇庁から、結婚の許可はついに出なかった。
 
[[1477年]]7月、アルカソヴァ条約により、戦争は終結した。条約の内容は次の通りであった。
#アフォンソ5世は、フアナとの結婚を解消し、カスティーリャ王位継承を放棄すること
#フアナは、カスティーリャの王位継承者フアン王子(カトリック両王の長男)と将来結婚するか、あるいは修道院に入るか、半年以内に決める。
#ポルトガル王太子ジョアンの長男アフォンソ王子とカスティーリャ王女[[イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|イサベル]](カトリック両王の長女)の婚約。
#フアナに味方して戦ったカスティーリャ人に恩赦を与える。
フアナは17歳でカスティーリャの王冠を放棄し、[[コインブラ]]のサンタ・クララ修道院へ入った。
*安部眞穏「波瀾万丈のポルトガル史」(1994年 [[泰流社]])
 
{{先代次代|[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]]|1438 - 1481|[[ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)|ドゥアルテ1世]]|[[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]]}}
 
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